山形県米沢市のオンライン高校・大学受験塾「伝説の松本学習塾」のブログ

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数学カルテpart1:高校数学「空間ベクトルの3次元的なイメージが把握しづらいのですが」

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数学カルテについては、以下のリンクからカルテ一覧をご覧ください。

matsumotogakushuu.hatenablog.com

 

英語カルテにはついてはこちらをご参照ください。

matsumotogakushuu.hatenablog.com

当塾では、塾生からLINEで随時質問を受け付けており、以下のような質問がありました。

空間ベクトル

空間ベクトル質問

今回は、数学カルテです。
診断と処方を記していきます。

 

今回の質問内容は、空間ベクトルです。
画像より抜粋しますが、
「空間ベクトルのイメージがしづらいので要領を教えてくれ」
という内容でしたが、
結論としての回答は
「ズバリ、イメージに関する要領は特にないし、いらない」
です。

 

これはこの塾生に限ったことではなく、一般的によくある疑問や行き詰まりです。
平面ベクトルを解く際に、式の操作と同等程度に平面図を用いていた、
その延長線上で「空間ベクトルも図で考えたほうがいいんだろうな」
という判断になるのは自然ですし、致し方ないこととも言えます。

 

ですが、空間ベクトルはそれほど図形的把握が重要というわけでもありません。
もちろん最低限、概要を把握するためには用いますが、
あくまでその程度であり、問題を解く際の決定的なヒントが作図によって
得られるということはそれほど多くありません。
作図をして、図形の概要を把握した後は、
ほとんど直交や統一表記を用いて式を変形・操作して解くのが一般的です。
「意外と、空間ベクトルは式の操作ばかりで解くのがセオリー」
と言えます。
むしろ、図で解こうとか、図を正確に把握しようとすると、
そもそも3D的な作図を綺麗に描けるかどうかというところでつまずいてしまうことが多いです。
そしてその延長線上で、

 

「なんか作図的に把握するのが苦手だから空間ベクトル苦手だなあ」


のような結論に陥りがちです。

 

空間ベクトルに苦手意識を持っている人は、いったん作図の精密さや、作図メインでの発想から距離を置いてみるといいと思います。
空間ベクトルは、図形的イメージにとらわれ過ぎると、こんがらがります。
多少逆説的な表現になりますが、
「空間ベクトルでは図を考えないで式だけいじってろ」
ということになります。
作図や空間把握は一定程度は必要なのですが、
実際には解法の大半を占めるのは式の操作、直交の利用、展開などですので心配いりません。

 

まとめです。
症状:空間ベクトルの3D的なイメージが把握しづらいです
処方:正確に把握しなくてもよい。それよりも式の操作や展開メインで取り組むこと

 

数学カルテについては、以下のリンクからカルテ一覧をご覧ください。

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父性≒厳しさ≒子供の学力~母親よりも父親の「親父」感・父性のほうが教育において重要である説~

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塾の運営をする中で、色々な塾生や保護者を目にします。
その中で「勉強に対して自発的で馬力のある学生とその保護者の特徴には相関があるな」と思うところがありますので、今回はそれについて語ります。

 

キーワードは「父性(父親が親父っぽい)」です。
言い換えると、「ある種の絶対性」「ある種の厳しさ」が家庭内にあるか否かです。
そしてその担い手が母親ではなく父親がメインである点が重要かと思われます。
以下、述べていきたいと思います。

 

最初に「父性が弱い家庭であるがゆえに子供の自発性や伸びしろが乏しい」サンプルについて触れたいと思います。
多少嫌な言い方をすると、そういったご家庭は、「父親の影が薄い」です。
存在感と言ってもいいかもしれません。
どちらかと言うと、教育熱心な母親の積極的な姿勢が前のめりになっており(それ自体はいいことなのですが)
家庭内を支配しているのは父親よりも母親の意思決定というイメージです。
ここで重要なのは

 

「母親が積極的であるとか教育に関心が強いとか、母親の立場が強い」

 

とかいうこと以上に

 

「父親が消極的である、影が薄い、弱すぎる、決定しない、絶対的な価値基準を持っていない、どこか厳格さがない」

 

といった「父親の総合的な態度の弱さ」がもたらす影響です。
ざっくり表現すると「親父っぽくない父親」です。
父性をあまり発揮していない父親がいる家庭で育った子供は、

 

「どこか馬力に欠け、曖昧で、執念もない、それゆえに自分の考えや言葉も乏しい」

 

といった特徴の子が多いです。
(あくまで私個人の私見なので例外は多々あるかと思いますが)
しかし、ここで重要なのは「いかめしくて厳しいだけの親父がいれば万事解決」
ということではありません。
それは却って逆効果かと思います。

 

常に父親がこうるさく教育や家庭内の決定に全て関わる必要はないのですが、
ある一点、あるいは複数の点において、明確かつ厳格な価値基準を
父親が所有しており、随時それを家庭内で発揮していて、
子供がそれを「親父の恐ろしさ、厳しさ」として認識し、
畏敬の念を大なり小なり抱いている状態が「親父(父性)が存在する家庭」の定義になります。
この反対の事例について考察してみると、


「父親が柔和でやさしい側面しか持っていない家庭だと、子供もなんだかふにゃふにゃしがち」


ということになります。

 

母親が厳しさや恐ろしさを担うご家庭も一定数あるかとは思いますが、
どういうわけか、母親よりも父親が「親父」を担当しているほうが
子供の自主性は強力なケースが多い印象です。
少なくとも私のこれまでの指導経験ではそうです。
「ある程度優秀なんだけど、でも能力の伸びしろの上限がすごく見えてしまう子」
のご家庭は、父親の影が薄いです。
薄くてもいいのですが、弱いのは問題かと思います。
ある意味、家庭にほとんど寄り付かない父親だとしても、
たまに子供と話して親父っぽい関わり方を実施して
子供の中に、母性とは違った父性の核や影が宿るだけでもいいです。

 

「子供の知性は母親の学歴と相関する」という言説が、
ある程度のエヴィデンスに基づいて昨今まことしやかに囁かれています。
私も、それはある程度妥当な事実であるとは思います。(あくまである程度です)
しかし、それ以上に重要なファクターであるのが父性の有無や濃淡ではないかと感じています。

 

本記事の趣旨は「育て方や教育手法云々の前に、父親がはっきり親父をやったほうが多分いいことがありますよ」ということです。
父性が強い家の子は、特徴としては自発性が高く、
言語化能力が高く、合理性が高く、健気なほどに自分のための努力に一生懸命です。
一言にまとめると「執念が強い」です。
父性が薄い家の子は、どこか曖昧で、逃げ癖が多く、
自分の意志が感じられません。
頭はそこそこいいケースが多いのですが。
これもまた一言で言えば「何に対しても執念が感じられない」です。
私個人の観測の範囲ですので、確かなエヴィデンスがあるわけではないのですが、
「父親の父性の強さ・合理性と子供の強さや柔軟性、知的馬力には相関がありそう」
と感じることは多いです。
「母親が教育的かどうか」はあまり大した影響がないというか、誤差程度しか影響がないように思います。
「母親が特別学歴が高いわけでもないし、塾に通わせる程度の教育への意識はあるけど、そこまで教育熱心というのでもないのに、その子供は随分馬力も執着もあってそれがゆえに高い結果が出せるなあ」
という子はごろごろいます。
そういった指導経験から「母親よりも父親のほうが教育において重要な要因ではないのか」と考えるに至りました。

 

世に流通している教育ママ本、お受験成功体験本では、
どういうわけか著者が母親ばかりで
母親の手法がクローズアップされがちですが、
私個人としてはそれよりも前に、その前提として「親父」の存在感のほうが重要なファクターになっていると考えます。
「親父の空気、親父の価値観の厳格さや精密さ、合理性」のほうが最重要指標であると感じています。
手法が活きるかどうかは、親父次第です。
教育手法はもちろん重要ですが、手法がうまく「のる」かどうかは、
手法以前の家の空気感次第であると思われます。
(上述したような教育ママ系の手法を真似して、
 大して効果が出ないと感じられる方がおられる場合、
 それは手法の問題ではない可能性が高いです。
 手法やテクニックというのは再現性が高そうに見えるのでウケはいいのですが、
 案外、その人が成果を出せているのは手法やテクニック以外の要素が根本原因である

 こともあるのです。
 私自身は、教育ママ的な著書に記載されている内容はおおむね妥当なものであるとも

 思いますが、しかし枝葉の部分であるなとも感じています。
 もっと重要なファクターが存在しているだろうと。
 大体、そんなに大したことは書いてないじゃないですか、そういう本。
 結構当たり前のことしか書いていないというか。)

 

そして「のる」かどうか、その決め手は親父の価値観の強度です。
父性の力です。

父性は、教育手法がうまく軌道に乗るかどうかの下地とも言えます。
父性の内実については総合的なものなので、別途記事で今後述べたいと思いますが、
ざっくり一言で言ってしまうと

 

「少なくとも何か一点において、あるいは複数の領域において、厳格な価値基準を持っている。それについては『この基準を逸脱することは断じて許さん』と躊躇なく言える」

 

です。
ある種の「絶対的な厳しさ」をどこか一点でも持っているということです。
それは母親には担いきれない要素です。
なぜなら母親には、やはり自分のお腹を痛めて産んだ子供に対して、
厳しくなりきれない部分、情愛の部分がどうしても出てくるからです。

 

そして、親父の厳格さが、どう子供に影響するのか。
それは「厳しさを受け入れられる強さ」を獲得できるようになることです。

 

「親父にどこか厳しさがある」≒「子供が知的訓練において厳しさに耐えられる」

 

という図式です。

要は「厳しさに慣れているから耐えられる。努力ができる」のです。
厳しさに耐えられない子というのは、端的に言って逃げ癖がついています。
自分の現状からも逃げますし、目標達成のために必要な努力からも逃げます。
自分の都合の悪いことからも逃げますし、自分の進路や将来からも逃げます。
逃げ続けて何も決定しません。
あらゆる厳しさ、めんどくささを受け止められないのです。

そしてその背景にあるのは、親父の恐ろしさ、厳しさの不足です。
「逃げたって罰則がないし、厳しく𠮟られることもないし、逃げちゃえ」
です。
おおざっぱな言い方をすると
「親父なんかちっとも怖くねえから何でも自由にやろう」
です。
(これもまた私見ではありますが、能力が高かったり執念が強い子の家庭は
 ほぼ例外なく「何らかの厳しさ」が家の中に漂っています。
 別に、常にピリピリしているということではありません。
 いざという時に「それだけは許さないぞ」という一線が明確に設けられているということです。
 そしてそういった厳しさのポイントの数が一定以上多い印象です。
 「何らかの質の高さ」とはやはり「何らかの厳しさ」によってのみ担保される

 のでしょう)

父性的な物言いが最近許容されづらくなってきている世の中にあっては、
今後柔和なやさしいお父さんが以前にも増してますます増えるかと思いますが、
私個人の勝手な予測では、

 

「短期的にはいいことのように見えて、長期的にはまるでよくないことだ」

 

と考えています。
家庭の中の気楽さや過ごしやすさなどの快適さの面では向上するのでしょうが、
長期的に見て教育効果的な損失のほうがそれらの快適さを上回ってしまう気がしています。
(あくまで私個人の印象です)

 

「柔和でやさしいだけのお父さんが増える→父性が減る
 →ふにゃふにゃした子供が増える→優秀な人材が育ちづらくなる

 →社会が成立しづらくなる」

 

のではないかと考えています。
誤解しないで頂きたいのは、柔和さややさしさそれ自体を否定しているのではないということです。
むしろ普段はちょっと気が抜けてるくらいでもいいと思います。
「厳格すぎるだけのいかつい親父」が家の中にいてもうっとうしいですから。
ただ、柔和さがベースにあるとしても、先に述べたような
「少なくとも一点以上は厳格さを持っている」
これの有無が非常に大事だと考えています。
0と1では大違いです。
(まあ、父性が強いことはいいことと同時に厄介なこともありますので
 手放しに誉められたものではないのですが、しかしやはり重要な

 教育資産ではあります。
 毒がなければ、薬にもなれないということかもしれません) 

 

まとめとプチ対策に入ります。
父親が「親父」っぽく家庭内で父性を発揮できているのか、それの有無が
子供の知的強度に関わるのではないか、というお話でした。
「父性」や「厳しさ」と言うと、昨今の時代性とは逆行する空気をまとう言葉遣いではありますが、「やはり一定の厳しさや絶対性は必要なのでは」
と薄々思われている方もある程度いらっしゃるのではないかと
塾を運営する中で肌で感じております。

 

もし仮に「うちは父親が弱そうだからどうしよう」と思われる方が読者の中にいらっしゃる場合には、手始めとして「許さない」という言葉遣いを父親が習慣化してみることをお勧めします。
「許さない」「追い出す」「駄目なものは駄目」などなど。
「親父っぽいフレーズ」を、とりあえず形だけでも示すのが大事かと思います。
父性の正体は、言葉遣いです。
女性ではなく、なぜ男性の親が厳しさを担いうるかと言えば、
男性のほうが言語的側面、論理的側面が強いからです。
ある種、非情になれるのが父親の強みとも言えます。
厳しさとは言い換えれば、ルールです。
絶対的なルールが存在するからこそ、その枠の中でどうすればよいかを人間は考えるようになります。
おそらく、それが「父性豊かな家庭の子供が自発性が高い」ことの根本原因です。

また、「厳しさに慣れている」ということはそのまま「自分に対して自発的に厳しさを課す」ことも可能にします。

裏返すと「厳しさに慣れていない」子は「自発的に自分に厳しさを課すこともできない」のです。
母親がルールを設けることも可能ですが、やはりどこか恐ろしくなりきれない部分がどうしても出てきます。
これは母性がある限り、致し方ないことです。
「ならぬものはならぬ」これを徹底できるのは恐らく父性を自然と所有できる父親だけなのでしょう。
「前時代的な親父感」にも意外と重要な価値が隠れていたのではないか、というお話でした。

 

長文お疲れ様でした。

 

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大学受験は地頭だけで戦うと負けます~参考書というブースターの重要性と失敗事例~

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地頭だけに頼ると余裕を持って大学受験に勝てませんよ、という話。

今回は、「地頭のよさも大事だけど、それ以上にプラスアルファの力を使ったほうが勝率に大きく影響しますよ」という趣旨について語りたいと思います。

まだ私が講師として未熟だった頃に何人か遭遇した学生の典型を例に挙げます。
地頭がいいがゆえに「大学受験を学校からもらった本だけで乗り切ろう」という趣旨の、あるいは愚直に「下手な小細工は使わないで勝ちたい」という趣旨の、
合理的な要領を避けたがる学生が一定数いました。
この場合の「下手な小細工」「学校配布物以外の教材」とは、質の良い参考書を指します。

 

話はやや横道にそれますが、
どうもこういった便利なツールを
「自分には必要ない」
「それに頼らないで乗り切ってみたい」
と思う学生はどこにでも一定数いるようです。
地頭に多少の自信がある学生であることがしばしばです。
(私はむしろそういった便利ツールは使い倒す側の人間なので彼らの心情がほとんどわからないのですが)
しかし、率直に言ってそういった態度は「甘え」です。
大学受験の実態をまだ肌で感じていない未熟さが
「便利な技は使わないで自力だけで勝負したい」
のような効率の悪いストイックな発想につながるのです。
そういった勝負根性、封鎖的な環境における努力が評価されるのは中学生までです。
その意味で、大学受験は子供と大人の境目の世界かもしれません。
結果だけが全てだからです。
「ここまで頑張ったから何点かあげましょう」
は合否の領域において存在しません。
よい結果を得られるように、自分が実施している努力をアップデートし続けること。
これが大学受験に必要な思考です。
結果を出せる努力でなければ意味がないのが大学受験です。
結果を出せる手段を模索し続けるのが大学受験です。
結果にこだわる前に、勉強法にこだわる時点でまだまだ甘ったれです。
大学受験に限っては、結果主義にこだわってください。
それしか道はありません。

 

話を戻します。
上述した学生たちは、結果的に地方国公立には受かりました。
ですが、本命は旧帝大レベルでした。
地頭はいいので伸びしろを十分伸ばしきれれば旧帝大にも通用する学力は持っていました。ですが、センター試験の点数がふるわず、結果的に地方国公立大学に志望校を下げました。
これはなぜか。
未熟な私の指導力不足、というのも一因ではありますし、
「この子たちの言うようにやらせてみようかな」と曖昧な決断しか下せなかった
私の甘さと経験の浅さもさらなる一因ではありますが、
それと同等か、それ以上に彼らには柔軟性、素直さが足りませんでした。
「その学校配布のテキストとか問題集じゃ間に合わないし、あんまり出ない問題が載ってるから市販の有名予備校の先生が書いてる参考書とか問題集に変えたほうが早くいい結果出るよ」
と数度にわたり示唆しましたが、彼等は彼等の流儀を貫きました。
内心、私は「頭いいのに要領悪いんだなあ」とぼんやり思っていましたが、
「ま、地頭いいからなんとかしちゃうかもなあ」と静観していたら
案の定伸びきらずに、自分の志望よりも低いところに着地する結果になってしまいました。彼等自身が選んだこととはいえ、彼等には悪いことをしたという思いが未だに残っています。

 

彼等の敗因(国公立には受かったのですが、志望校に届かなかったという意味で)は何か。
ひとえに「合理的な選択をとれなかったから」に尽きます。
上述したような「下手な小細工や工夫」に労力を割かず、
今手元にある問題集・教科書・学校の課題だけで勉強していたからです。
「工夫・戦略・要領・効率・検証」という観点が彼等には一定以上抜けていました。
地頭という力技だけで押し切ろうというメンタリティが彼等に合理性を選ばせませんでした。
受験でも勝負でもなんでもそうですが、過程や努力においては泥臭く、
どぶ板営業のような馬力でなんでもやる人が勝ちます。
勝ち方を選んでいる人は勝てません。
勝てたとしても、自分の望むほどの達成率は見込めないことが多いです。
「こうやったら恰好いいだろう」とか、そんなことを述べても許されるのは上位中の上位の生徒だけです。
具体的には偏差値70以上を常に叩きだしている人間だけが
許される選択ではないでしょうか。
(まあ、往々にして偏差値が高い学生ほどやりこみ具合も高いので
 こういったケースはほとんど見受けられないのですが)
それ以外の学生はなりふり構わず勉強してください。
スマートさなんてもってのほかです。
勝ち方を選ぶ夢なんて抱えてないで、実績を出してください。
受験に限っては、勝ち方ではなく、結果が大事です。
どうやったら一番いい結果が出るか、それに基づいて勉強の戦略、要領を考えてください。
そして本当に現在の自分の取り組みが正しいのか、常に検証し、アップデートし続けてください。
勝つならそれです。

 

話がややそれましたが、重要なのは合理性と効率です。
ではそれは何によって担保されるのか。
良質な参考書です。
インターネットが過剰に普及した現代において、どの参考書が最も結果を出しやすいツールであるか、そこかしこに情報が転がっています。
それに基づいて勉強してください。
「学校の授業・課題・教科書・問題集」は受験用に作られているわけではありません。
一応、受験生を受け持つ学校の先生方はそれなりの難易度の問題を放り投げてはくれますが、それではその課題や授業は「どれくらいの偏差値帯において有効なツールであるか」先生方は具体的に語れるのでしょうか。
またさらに「どの大学の文系or理系においてはこういう類の問題が出がちである」と明確に返答できるのでしょうか。
ほぼ答えられないと思います。
学校の先生は受験のプロではありませんし、学校の先生の本文はその領域ではないからです。
中には、優秀な先生もいらっしゃるのですべての先生の指導が効果が薄いとは言いませんが、大半の高校教諭の方はそこまで請け負いきれません。
物理的に不可能です。
学校の先生は、受験のプロとして研修を受けたわけでもなく、
受験のプロとして採用されたわけでもなく、
受験のプロとして結果に対する責任を問われているわけでもありません。
「プロっぽく働いてくれると、学校側としてはなんか嬉しいなー」
くらいの温度が実態ですし、それで十分です。
学校が教育に関する全ての責務を背負いきれるわけがないからです。
学校に受験関連の期待を寄せるのは、完全に学校のキャパシティを超えた行いです。
「学校なんかあてにするな」というような失礼な物言いに聞こえるかもしれませんが、
先生方に対する敬意や尊重まで蔑ろにしろということではありません。
学校には色々な制約や限界があるのだから、そこに期待するのはやめたほうがいい、
ということを伝えたいだけです。

 

また話を戻しますと、良質の参考書は学校由来のツールと何が違うのか。
それは「大手予備校の受験のプロが作っている書籍」というただ一点です。
プロとアマ、どちらを選べば勝率が高いかは火を見るより明らかです。
一番のミソは、分析と研究です。
率直に言って、よく調査されていますし、要領が凝縮されています。
駄目な本もたまにはありますが、インターネット上で取り上げられている
有名な参考書に外れはほぼありません。
あるとすれば学生とその参考書との相性くらいです。
相性が悪くてどうも筆が進まない、ということはよくあることです。
その時はまた別の参考書を探せばいいだけのことです。


有名かつ良質な参考書は、学校由来の教科書・問題集とは、濃度が違います。
言い換えると、テキストの濃度が違う≒時間の濃度が違う、
ということになります。
時間こそは受験生にとって最大の財源です。
財源効率、費用対効果を最大化した者だけが受験・勝負に勝てます。
テキストはただの紙っきれであると同時に、その紙っきれの如何が
あなたの人生の、有限な時間を資産化するか、不良債権化するかを決定します。
紙っきれは時間の具象です。
持っている本次第で、あなたが時間管理において金持ちになるか貧困層になるかが分かれるということです。

時間のお金持ちになってください。

 

本記事にて一番伝えたいことは
「自分の地頭に自信があるのはいいことだし、やる気もあるのはわかってるけど、地頭だけで戦うと安定して勝ちづらいよ」
ということです。
地頭という「筋力」みたいなものだけで戦うと勝ちづらいよ、ということです。
力に加えて、技も工夫も戦略も全てを駆使して戦うべき、ということです。
大学受験は要領と戦略の勝負です。
地頭のよさも重要なのですが、それだけでは勝てませんし、
むしろ地頭だけで乗り切ろうとすると厳しいものがあります。
なぜなら、情報量と演習量をカバーしきれないからです。
情報量とは、端的に言って知識量です。
もちろん、学校から配布される教科書には網羅的に知識が掲載されていますが、
それを全て手製でやりきるのは時間のコストパフォーマンスが非常に悪いです。
こういった形で、情報量というのはある程度圧縮ないし限定する必要があります。
そして節約できた時間で他科目のフォローに注力することが必要になってきます。

 

次に、演習量です。基礎的な内容を頭に叩き込んだ後に、
過去問や実践的な問題集を数多くこなして実戦形式やひっかけ、
マニアックな重箱のすみつつきへの耐性をつける必要があります。
そして自分が正答できなかった領域を再確認し、
また基礎的な叩き込みへと戻り、課題をつぶし、改めて演習に戻ります。
自分の実力を向上させる近道は、自分の欠点を全てつぶすことと同義であり、
それは実践形式の演習において達成されます。
学校配布の教科書・問題集も決して悪くはないのですが、
いかんせん要領がありませんし、配布物だけではそもそもの冊数が足りません。
基本的な相場としては、一科目あたり2,3冊の参考書と3,4冊の問題集をこなすのが
高い成果を上げる目安となります。
端的にまとめると
「学校の配布物メインでの受験勉強は、そもそも情報量も演習量も足りない」
のです。
大学受験は時間との闘いであり、さらには知識量との闘いでもあります。
「効率的に、なおかつ大量に」これが実力向上のための原則です。
どちらも欠けてはいけません。
少々くどいですが、改めて表現すれば


「学校の配布物はほとんどの場合、効率が悪く(だらだら全部書いてある) 量も足りない」


のです。

 

何回も繰り返しになって申し訳ないですが、
上述した「地頭だけでなんとかしようとした学生たち」にまた触れます。
「先生、でもまあ、そうは言っても今目の前にあるものを使って頑張ってみますよ」
大雑把に言ってその生徒たちの態度はこのようなものでした。
「『まあ、そうは言っても』なんて悠長なことを言っている暇も資格も今の君にはないんだよ」
と今なら断言できます。
受験生の皆さんは、最良の選択肢を躊躇なく選んでください。
自分の実力を上げることを優先し、それに基づいて手段を選んでください。
「まあ、そうは言っても」なんて言って勝ち方にこだわって、
その挙句結果を取りこぼしても後には何にも残りません。
(あくまでこれは受験に限った話です)

 

自分の志望、願望、欲求を本心から叶えたいのなら、
なりふり構わないで自分の実力を上げることに専念してください。
実力も大してないのに夢だけ大きい状態が最も悲惨です。
自分の実力という現実を直視してください。
そして最も要領のいい手段を選択してください。
なりふり構わず、泥臭く、最良の情報を探し続けてください。
それも能力のうちです。
紙の上の実力だけが頭の良さだと思ったら大間違いです。
情報収集・要領・戦略・学業の実力・メンタリティ、全てを総合したものが頭のよさです。
言い方がだいぶ乱暴になりますが
「四の五の言ってないで実力を上げる手段を今本当に実施できているのか
 常に検証し続けろ。模試の結果は本当に出せているのか。
 出せていないのなら努力がどこか間違っている。
 それを全て洗い出して全てつぶせ。そして往々にしてその原因は勉強の素材である
 参考書・問題集と入試問題の不整合にある。照合せよ。全てを照合せよ。
 本当にこのテキストをマスターすれば合格点以上の点数を取れるのか、
 自問自答し尽くせ。自分の暗記法や思考法も常に更新し続けろ」
こういった検証能力もまた能力の一つです。
私は地頭はそうでもないですが、その他の能力が人並み以上だったので地頭の不利を補うことができています。
「地頭がいいほうなんだろうな自分は」という自覚がある皆さん、
地頭プラスアルファの力で受験に臨んでください。
地頭のよさだけで戦えるうちは、まだ自分に甘い領域で戦っているんです。
(志望校に受かったor十分な実力が現時点であるのならそれで全然いいのですが)
余裕を持って受かりたい、合格最低点より少し高いところで気を楽にして受かりたい方は、是非とも学校配布物ではなく良質の参考書・問題集を使用した戦略に切り替えてください。
キーワードは「余裕が欲しいか、そうでもないか」です。
私個人の感覚としては入試問題を解いている最中or解き終わった瞬間に
「こりゃ受かったわ」と確信できる実力を持っている自分でないと
なんだか嫌だなあという感覚なので、断然参考書派です。
(毎度毎度そんなことはできませんが)
受験という対戦相手を舐めないでください。
舐めると負けます。
相手を知り尽くし、調査・検証・戦略を充実させて戦ってください。

 

長文お疲れさまでした。

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国語が苦手な子への対策の一つ~文化数とカルチャー数を増やすことの重要性~

また、伝説の松本学習塾です。

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今回は、子供(小中学生)の国語の苦手対策の一つについて語ります。
国語が苦手な高校生の背景にもなりえる話です。
これはあくまで数ある対策の一つですので、これだけで全てが解決するわけではありません。
ご了承ください。

 

なお、今回説明する手法とは別の手法の概要を軽く述べてみると
「国語の回答ルールを正しく覚える」ということに尽きます。
こちらは学習というかお勉強的な側面の対策です。
今回説明する対策は、いわゆる教科書的なものや学習面でのテクニックとは違ったものになります。
ある意味、勉強以前の問題、勉強よりももっと本質的かつ重要な発育に関する対策になります。
少々長い内容になります。

 

まず、私のこれまでの経験則から触れてみたいと思います。
「症例」と言って差し支えないかわかりませんが、おおむねそのような状態を見聞きすることが多かったです。
この場合の「症例」とは何か。

 

「国語が苦手」→「国語の点数が低い」

 

こういった状態の子供たちに共通していることは、
「知っている語彙が少ない」or「大ざっぱに言ってモノを知らない」です。
ざっくりまとめると、知識が不足しているのです。
これは、元々勉強が苦手な子はもちろん、進学校に在籍する子も含みます。
「これくらいはなんとなく一般常識として知ってるんじゃないのかな」と思うような内容も、
尋ねてみたり雑談する中で、全く見当はずれな内容を返してくることが多かったです。
「投げかける問いの内容がハイレベルすぎたのでは?」との声もあるかもしれませんが、どうもそういったことが原因ではないようです。
一例を挙げます。


「『どぎまぎ』って表現は、いい方向の意味か悪い方向の意味かわかる?」と尋ねると
「いい方向の意味」と答える子がいました。
この子は勉強が苦手なほうではありません。
むしろちょっとできる側の子です。
国語だけが苦手ということで入塾した生徒でした。
その他にも複数の問いを投げかけましたが、やはり頓珍漢な内容が一定程度含まれていました。
頭が悪いのではなく、単に知識が不足しているのです。

ここで言いたいことは、

 

「母国語である日本語だから当然大体のことは知っているだろう。
 日常会話だって問題ないのだし」

 

と思っていると「意外とそうでもない」ということです。
単純に言葉の意味やニュアンス、いい意味か悪い意味かも見当がつかない状態の子は、
私たち大人が想定する以上に数多くいるのです。
繰り返しになりますが、これは勉強が苦手な子に限ったことではなく、
勉強が得意な子においても当てはまることです。

 

語彙不足に加えて、さらにもう一つの特徴があります。
冒頭に述べた「大ざっぱに言って、モノを知らない」という特徴です。
前述した語彙不足と区別してみると、これは雑学不足と言えます。
これもハイレベルな知識が云々という話ではありません。
「私(筆者)が子供のころにテレビや雑誌、漫画、映画、ゲームその他で見知った程度の浅い知識」
のような領域においても「それはわからないです」と答える子が多いです。
「普通に暮らしていれば、単語のおおよその意味やニュアンスくらいは
 テレビ・ニュース・雑誌・漫画その他などで目や耳に入るはずだけどなあ」
と思える程度の知識です。
この雑学不足が目立つ子が、それなりに目につく頻度で存在します。

そして、こういった子供たちに共通していることは

 

「普段触れている文化の数、カルチャーの数がちょっと少ない」

 

ということです。
これはあくまで私個人の偏見も含まれますので、信頼できる調査結果というわけでもないのですが、
私個人の計測する範囲ではおおむねこういったサンプルが多いです。

「文化の数、カルチャーの数が少ない」

を別の表現で言い換えると、

 

「自宅にて勉強以外に触れるモノが少ない」

 

ということです。全くのゼロということはないようですが、
とにかく少ないです。
以下、例を挙げます。

 

・テレビゲームが家にない
・勉強する時間帯がきっちり定められている
・漫画の数が少ない(ほとんどない)
・その他、映画、雑誌などの気配が少ない

 

などが主な特徴です。
これもまた推測の域を出ませんが、そういった保護者の方と話してみたり、
その子供たちから話を聞いていると
「勉強に集中できるように、他のことに気がそれないように そういった環境を意図している」
という事情のようです。
この方針が完全に間違っている、とは私は思いません。
事実、こういった空気のご家庭で兄弟がいる場合、どちらか片方は思惑通りに勉強に集中し、成績も一定以上のものを出しています。
しかしまた、どちらか一方の兄弟がどうも積極性というか、活発さに欠けるようになるというのも傾向として見受けられます。
兄弟間で思うところも色々あるのでしょうから一概には言えませんが、
なんとなく私の感じるところでは
「ある情報だけを摂取するように限定された空間における功罪」
といった感があります。
そしてこういった兄弟の例で言えば、
「親の思惑通り軌道に乗っているほうの子供」と
「親の思惑を外れて勉強にやる気のない子供」については、
前者はともかく、後者は

 

「勉強に対して積極性・主体性に乏しく、それに伴って進路についても無関心であり、
 語彙も少なく知識も乏しい」

 

と言えます。

やっとここで本題に入りますが、そういった子供への対処はどうすべきか。
あくまで私個人の推論に基づく仮説ではありますが、
なんとなく成果が出ているのかもしれないなと思える施策があります。
それは、

 

「文化数とカルチャー数を上げる」

 

という施策です。
具体的には「勉強以外の、漫画、映画、アニメ、ゲーム、その他なんでも」に触れる回数を増やすということです。
上述したような「特定の情報以外の情報が封鎖されているような環境」は、
ざっくり表現すれば「勉強以外の情報が遮断された環境」です。
親の目論見通りに、勉強にのみ関心を向けられる子であればそれでもいいのですが、
そういった適性に乏しい子にとっては、身の回りを包む情報量が極めて乏しい環境です。
これでは好奇心や情動性の助長に支障が生じる可能性も高いと言えます。
なんせ「面白い」と自然に思えるものが身の回りに少ないのですから。
これもまた私の持論ですが、
「勉強だけしていると長期的には却って頭が悪くなる」
と思っています。
これは、ある程度根拠があってそう考えています。
その論理は以下のようなものです。


※本記事における「文化数・カルチャー数」とは、以下のようなものを指します。
 文化数→クラシック音楽・催事・体験学習などの、常識的かつ王道の文化を体験した数
 カルチャー数→漫画・映画・音楽・ゲームなどの、娯楽に属する軽文化を体験した数

 

「文化数・カルチャー数の数が少ない」≒「全身に浴びる情報量が少ない」
→「頭や体に入る知識が少ない」
→「何か物事を見たり聞いたりした時にそれがどのような特徴があるのか、
  違いがあるのか、などを思考するために必要な知識・前提のようなものが
  脳の中に少ない」
→「比べたり例えたりする力の低さにつながる」
→「感動や興味が湧いてくる率が下がる。なお、記憶する力も下がる」
→「自分が何かを感じたり考えたりすることが不得意になり、面白さも感じない」
→「低かった自発性・積極性がなおさら下がる」

「語彙や知識量」と、「記憶力・自発性・情緒」には大きな相関があります。
大ざっぱに言ってしまえば
「たくさんのモノ・語彙を知っている人間は、脳内に比較対照するサンプルが多く蓄積

 されているがゆえに知識の関連づけが発生しやすく、例え話を自ら構築しやすいので

 アウトプットする力も高い。
 そしてそれを通じて自分が感じたり考えることを面白いと感じられる。
 現状よりさらにたくさんのモノを記憶でき、好奇心を拡張させ、ますます自主性が

 強固になっていく。未来・進路への思考も自発的に行う」

のに対し、

「モノ・語彙の知識量が不足している人間は、脳内に比較対照するサンプルが少ないが

 ゆえに知識の関連付けが発生しづらく、例え話を構築しづらいため言語可能力も高ま

 りづらい。そしてそういった「物事を感じたり考えたりすること」に面白さを

 見出しづらくなる。
 自分が物事を感じたり考えること、分析することに面白さを感じられないがために
 「面白いことがないなあ」という状態になり、自主性が乏しい状態が続く。
 自分の将来すら自分ごととして考えない」

という構造になります。
「強い人間はますます強く」なり、「弱い人間はますます弱く」なる法則の典型的な事例になります。

勉強に対して自然にモチベーションが湧かないお子さん、主体性の乏しいお子さんに対しては勉強以外の情報を浴びせてください。
ただし、大量に与えてください。金銭面と相談しつつも。
「そんなことをしたら勉強しなくなるのでは?」との懸念も想像されますが、
ご安心ください。
本記事は、「勉強以外のことだけを大量にさせろ」という趣旨ではありません。
文化数・カルチャー数を増加させつつも、
「お前、勉強も同時にちゃんとやるんだぞ」
と言えば大丈夫です。

ある種、馬の鼻先に人参をぶら下げる形にはなりますが、
とにもかくにも情報量を多く摂取させるということが何より大事です。
特に物語が大事です。
どんな物語でもいいです。
とにかく大量でありさえすれば。
漫画であろうが映画であろうがアニメであろうがゲームであろうが何でもかまいません。
(優先順序を強いて挙げれば、漫画・映画・音楽をアニメ・ゲームより優先したほうが

 いいかとは思います。前者はある程度主体性を要するのに対し、後者は派手な演出や

 気楽さが先行し、受動的な傾向があるからです)
物語からこそ、「語彙の数・人物の情緒」について直感的に学べる部分が多いです。
国語が苦手な子は、この双方に関する感度・知識がとにかく低いです。
理解力は高くても、肝心な着想というか共感の部分が未発達であるケースが多いです。
特に漫画においては、物語という情報量以上に、ストーリーに付随する雑多な知識というものが意外と大きな影響を持ちます。
専門書を読み込まない限り得られない雑学を、漫画をよく読んでいる子供のほうが世間一般の大人よりも概要を把握しているというようなことはままあります。
こういった「雑多な知識」というものが脳内において、外界からの情報を解釈・記憶する際の重要なきっかけ、トリガーになるのです。
これは、長期的には勉強への適性と積極性にも関わってきます。
勉強も、大きいくくりで言えば雑学の範疇だからです。
それがオフィシャルなものであるか、そうでないかの違いがあるだけです。
雑学への好奇心は、そのまま勉強への好奇心へもスライドする可能性が高いのです。

 

今回は国語に関する内容でしたが、

「語彙・雑学知識」の多寡が及ぼす「記憶力・自発性」への影響は、全ての教科の学力とも相関します。

さらに言えば、「伸びしろ」にも関わります。

語彙の力・雑学の力が強い子ほど、学力の伸びしろ・上限も高い傾向にあります。

(あくまで私個人の観測の範囲内において、ですが)

そういった子ほど、現状の学力よりも高いランクの志望校に受かるための学力を、スムーズに身に着けられることが多かったように思われます。

 

今回述べたような「大量の情報を浴びせる環境にする」施策は、
効果が出るまで長い時間がかかります。
勉強のように、正しい訓練内容であれば短期間で結果が出せるというような簡単なものではありません。
そのため、早期に試してみることをお勧めします。
長文お疲れさまでした。

第三種電気主任者試験合格体験記とその要領~文系の私の色々な失敗例・電験三種~

 

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今回は私が数年前に合格した第三種電気主任技術者の体験記を記します。
今後受験される方、あるいは既に受験されている方の参考になれば幸いです。

 

結論から言ってしまえば、電験三種は参考書が命です。
明らかに参考書ゲーです。
参考書選びを間違えただけで落ちる、それが電検三種です。
受かる参考書と受からない参考書があり、受かる参考書はたった一種類だけです。
オーム社の完全マスターシリーズです。
なぜこの本だけが受かる本と言えるのか。
それは、他の本には試験で出題された語句や内容が載っていない、
つまりそもそも情報量が不十分な本ばかりだからです。
基礎問題までは充実しており、わかりやすい本が多いですが、
合格に必要なのは基礎以上の問題と分量です。
完全マスターはそれらをほぼ網羅しています。
本番の出題者と著者が同一人物ではないか、あるいは完全マスターを叩き台にして作問しているのではないかと
思わせるレベルで網羅されています。

 

完全マスター以外の参考書は数多く出版されていますが、網羅度は体感的に60%程度です。
恐らく、実際の試験の得点帯としては各科目40点程度までは
完全マスター以外の参考書でもいけます。
しかし、そこから上、45点以上への到達が難しいというのが私の体感です。
それもこれも網羅度が足りないからです。
一応完全マスター以外の参考書を使っても受かる確率は一定程度あります。

「完全マスター以外の参考書やりこみ+過去問10年分全問百発百中レベルまでのやりこみ」

これであれば合格点に届き得ます。
私も要領が全くわかっていない頃、理論科目だけはその手口でかろうじて受かりましたが、そんな危なっかしい真似は3年リセットという制約がある本試験においては得策ではないと思われます。
科目合格の確度が低いので、やはり完全マスターをやりつぶしたほうが無難かと思います。
(随時新しい参考書が出版されていますので、ひょっとしたら現時点では
 完全マスター並に役に立つ参考書もあるのかもしれませんので悪しからず。
 私が合格したのは2019年の試験です)

電験三種は、網羅度のテストです。
多少理系的な内容が苦手でも、網羅的に全てを習得していれば合格可能です。
計算問題も、文脈穴埋め問題においてもやり込み次第でどうとでもなります。
センスは要りません。
私も、元々は理系的な方面が得意かと言うとそうではない人間でした。
しかし、やや文系寄りの人間でも勉強のやり方次第で電験三種は通過可能です。
以下、そのような前提で合格まで三年かかった私の体験記を記したいと思います。


<1年目>
要領がさっぱりわかっていないので闇雲に参考書を買い漁る。
今思えば役に立たない参考書をやりこんでは的外れの自信を蓄えていた。
「1年目で4科目全て受かるといいなー」などと夢想していたが見込みが色々甘かった。
(要領さえ把握していれば1年で4科目合格は可能です)
見込みが甘かった背景は古い過去問。
約10年前(当時からの過去問を解いてみて、合格可能性を判断していたから。

 

「なんだ、公式さえ覚えてりゃ受かるなこれは」

 

と思ったのがそもそもの間違いの始まり。
ある年度まではそこそこの難易度でしかなかったが、ある年度を境に電験三種は難易度がいきなり高くなった。
そのことに気付くのは6月頃、最新の過去問にも手をつけてみるかと触ってみた時だった。
最新の過去問に触れてみて、本番を目前にして異様な焦りを覚えた。
これじゃまずいなと。
傾向がさっぱり違うでないかと。
「完全マスターを使ったほうが合格確度は高いな」と気付いたのもその頃。
もはや手遅れだったが、そこから二ヶ月半ほど完全マスターをメインにガリ勉。
案の定4科目中2科目しか受からなかった。2科目受かっただけでもラッキー。
受かったのは理論と法規。理論は合格点ぎりぎり。
法規は、危機感か強過ぎるあまりやりこみ過ぎて86?か87点だった。
法規も過去問の難易度と現在の難易度に大幅に距離がある科目。
私が合格した2016年前後あたりから急に受かりにくくなった。
「ま、来年は二科目だけだしいけるっしょ」
とこの時は思っていた。

 

<2年目>
本番半年前からガリ勉開始。
受験科目は機械と電力のみ。
「まーいけるっしょ」
とそこそこ勉強したが、結果から言えば両方落ちた。
「まー3年のリミットだけど余裕持っ2年で受かるっしょ」
と思っていたが駄目でした。得点は双方ともに45点。あと2、3問で落ちた。
流石に来年が最後のチャンスたと思い、危機感がやっと真っ当なものになる。
なぜ落ちたのか?
色々と突き詰めた結果得た答えは、「完全マスターの出題される箇所」「過去問が出したがる箇所」を正しく分析できておらず、ちょうど出されるところをやり逃していた。という事実。
出題される箇所には一定の法則がある。
このことにもっと早く気づいていれば、過去問と完全マスターの照合にもっと真摯になっていれば、あと1年を時間無駄にせずにすんだのにと。
受からなかったのは勉強が足りなかったというよりはやるべき領域をやらかなったから。
的が外れていたから。

 

<3年目>
また半年前から勉強開始。正しくやるべき箇所を全てやり潰すので、分量が多い。
前回落ちた原因を自分なりに思いつく限り全て書き出し、
完全マスターと試験問題を全て照合し、自分の穴を全て洗い出した。
「こんなに抜け落ちてたのか。そりゃ落ちるわ」
というのが率直な感想。
とにかく詰め込む。がっつりやりこむ。やるべきところをやりこみ、
そうでもないところもなおさらがっつりやりこむ。とにかく不安要素を全て片付ける。
また、「不安要素を全て消す」という意味では、姑息ながらマークシートの選択肢の番号の傾向まで自分なりに抽出して対策を立てた。
完全にあてになるわけでもないが、確かに一定の傾向と偏りが見られた。
本番でも実際にこの「ナンバリング対策」で正答したのはどうしたらいいかわからん問題の3割程度。
ざっくり言えば「おおざっぱに鉛筆転がした問題の3割くらいなんか当たった」という感じ。
まあ一応役に立ったことは立ったらしい。多分。
本番を終えてみれば、
「受かったなこりゃ」
と確信。
実際にフタを開けてみれば電力70点機械80点。
受験結果を見て小躍りした。
電力はなんか計算ミスしてた。
ちょっとミスもあったが結果的に受かったのでよし。
3年リセットの刑に服することなく電検3種を卒業できた。
出所の気分(投獄された経験はないが)。
やっとこさ肩の荷が降りる。
正直言って、あまり面白い勉強内容ではなかったのでもうやりたくない。
受かったから言えることだが、古い形式というか、
いかにもペーパーテストのためのペーパーテストといった感じだった。
実用的ではない。
これに受かったからと言って自分のスキルや見識が上がった感は全くない。
元々そういう試験ではない、と言われればそれまでだが、
「それにしてもこれだけ認知度の高い試験であれば、もう少し実のある内容であってもいいのではないか」とは思った。
単に「ふるい落とすことに特化した試験」という感じ。
別にそれもアリと言えばアリなのだが。
もっと早く攻略法に気付いていれば時間無駄にしなかったなーとも思った。
受かった嬉しさ以上に鬱陶しいものが厄介払いできたという感触。
あーめんどくさかった。

 

以上が私の合格体験記3年分です。
繰り返しになりますが、電験三種は参考書ゲーです。
理系のセンスは要りません。
(裏返すと、受かったからと言って理系とか数学のセンスの証明に全くならないとも言えます。ただのやりこみゲーです。頭のよさというよりは、馬力の有無の証明にはなると思います)
正しい参考書の選定に加えて、過去問のやりこみ。
これで全て決まります。
先にも述べましたが、頭のよさを試す試験かと問われるとちょっと疑問です。
重要なのは地頭よりも要領と馬力です。
3年リセットの呪いにからめとられている方の参考になれば幸いです。


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長文お疲れさまでした。

教育に危機感がない自治体は今後大体滅ぶという話~山形県真室川町の教育補助事業の素晴らしさを例に~

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今回は、山形県真室川町(まむろがわまち)の教育補助事業の素晴らしさについて触れたいと思います。
(私は米沢市在住の人間ですので真室川町の回し者ではございません。悪しからず)
なお、素晴らしさに触れるついでに「教育事業に積極的でない自治体の末路」にも触れていますので、最後までご覧頂ければ幸いです。

 

真室川町では、学校教育に加えて自治体が英語の追加授業を設けています。
授業内容は主に英検に関することです。
費用はテキスト代程度であり、実質無料です。
数年前から当該の取り組みを実施しているようで、英検の受験率が向上するなどの成果も出ているとのことです。
私個人の見解ですが、こういったことに独自に着手する自治体は今後増えていくことでしょう。
やはり学校教育だけでは、全体的な知的向上を図るのは物理的に限界があるからです。
危機感の強い自治体ほど、その現実に気付き始めているのでしょう。
過疎化、少子高齢化を危惧する自治体であるほどに、投資的な側面から
こういったことに随時注力していく時代になるかと思われます。
ある意味では、自治体ごとの教育格差が俄然助長される形になるかと思います。
教育は、投資です。
投資意識のある自治体には、生き残れる確率が一定程度担保されるかもしれません。
文科省自治体の教育の命運を預けっぱなしする時代は終わりでしょう)

英検自体を私は取り立てて重要視していませんが(準一級以上は重要です)
今回の件で私が素晴らしいと思うポイントは

 

自治体が無償で教育補助に乗り出し、学力向上の成果も出てきている」

 

という点です。
実施すべき投資を今のうちに投じているその姿勢と危機感は素晴らしいものです。
英検3級までが指導範囲とのことですので、ある種英語の基礎までの勉強ではありますが、しかしこれは大きな意義を持ちます。
やはり学習の初動段階、特に英語においては中学1年生頃から、
こういった英語学習・訓練に触れる機会が多いということは非常に重要です。
「早めの慣れ」というものが、その後の複雑化・大量化する学習において
抵抗や拒否反応を示さないための重要な要因になるからです。
ざっくり言ってしまえば

 

「昔からある程度訓練してきたことはその後も継続しやすい」


のです。
きっかけや初動というのは非常に重要です。
例えそれが小さいきっかけや、基礎的な内容だったとしても、
持っているのと持っていないのとでは大違いです。
初動の補助・機会がないばかりに、本来であれば出し切れるはずの潜在能力も
それを発揮する機会が失われたまま学年を過ぎ去ってしまうということになりかねないのです。特に英語は、初動でつまずいたままであればそのままリカバーの機会を失いやすい教科です。その意味で、真室川町の取り組みは本質的なものであると言えるでしょう。

 

もちろん、自治体が実施可能な指導にも限界はあります。
それは大学受験であるとか、そういったハイレベルな指導内容に関してです。
指導できる人材も、それに伴う予算も自治体が請け負う範囲を逸脱するものになるからです。
流石にそのレベルまで自治体が請け負う必要はないと私個人は考えています。
しかし、そうであればこそ、限界があるからこそ、それ以外の領域において実施すべきことをやらねばならないというのもまた事実です。
つづめた言い方で表現すれば

 

自治体は教育補助事業を実施すべき。そしてその範囲は基礎的なもので構わないし、それで十分である」

 

です。
真室川町の取り組みは、まさに理想的な内容と範囲であると考えます。

 

「何もかもが自治体発でできるわけではないけれど、でもやれることは自治体の側から実施しておこう」

 

理想論ではありますが、他の自治体も教育においては真室川町の後を追うべきだと考えます。
教育投資なき所に遠からず訪れるのは長期的な死です。
具体的には自治体の消滅です。
これは自治体に限らず、各世帯についても言えることです。
力が育たないわけですから、滅ぶのは当然の論理です。

 

話は若干それますが、山形県では以前、小国町という地域でも教育補助事業が実施されていました。関東から予備校の指導陣を呼び寄せて勉強法などの講座を設けるという内容のものでした。自治体の取り組みとしてはかなり先進的かつ重要な内容であると思います。
(小国町の教育補助事業は、町長交代と共に終了してしまったようです。
 詳細は不明ですが、中止された理由は
 「前任者の取り組んでいた事業なんか自分が引き継ぐ筋合いはない」
 あたりかと思われます。
 政治的な理由で教育推進の道が途絶するのは痛ましい限りですし、実に下らないです)

真室川町や小国町のような補助事業に、未だに取り組んでいない自治体は、
自治体としての教育への危機感があまりないのでしょう。
将来の人口減のことを考えれば、教育に対して今のうちに絶対に投資すべきなのですが。

 

「人口減・少子高齢化」→「一人当たりの教育濃度向上の必要性」
→「それがない」→「自治体のトータルな力の減少」→「自治体消滅」

 

これは極端な想定ではありますが、おおむねこの道筋をたどるのが相場かと思います。
その自治体の文化が素晴らしいとか風景が美しいとか歴史と伝統が豊かとか言ってみても、それを受け継ぐ人間が一定数以上いなければ、意外と早期に何もかも消滅あるいは断絶するものです。
そしてそれらの抽象的なものというのは、抽象的な事柄を理解できる知性を持つ人間でなければその重要性や価値を認識できません。
抽象的理解力を所有できるのは、一定以上の学業的訓練を経た人材だけです。
具体的に言ってしまえば、地方国公立大学以上程度の学力を有する人材でなければ、
ローカルな文化や伝統を認識、着想、維持、発展させる事業に取り組むことは難しいでしょう。
(もちろん学歴が低くても優秀な人材はいますが、そういった人は例外的な存在です)
地元出身の人間が自動的に地元に居住を選択し、自動的に学力を自ら訓練し、自動的に地元文化の維持と発展を担ってくれることを期待する時代は既に終わっています。
構成員の大半が県外出身者である、まちおこし協力隊が全国に存在することからも、それは明らかでしょう。
地元の維持発展増幅に関心がある人材は、枯渇気味であると言っても過言ではないでしょう。

 

平成初期の頃までは、インターネットも普及しておらず、情報が封鎖されており、
ある意味では「仕方なく地元に残るしかないから地元のことでも頑張っておくか」という具合に地元の事柄に尽力してくれる人材を自然に確保できていました。
「封鎖されている」「閉鎖的である」という制約が、コミュニティを成立させる面においてよい方向に作用していたのです。
今やインターネットによる情報獲得の機会はスマートフォンの普及と共に所与のものと化し、あらゆる行為を選択する幅が拡張されています。
受験、就職、旅行、その他もろもろに関する情報へ接触する機会が増え、世の中が流動的になっています。
多様性と流動化の著しい時代にあって、自らが所属する自治体に関心をさく分量が多い人間の数は自ずと減るものと思われます。
多様性の功罪です。
ざっくり言ってしまえば

 

「娯楽が無限にあってずっと暇つぶしできるから他のことを考える暇なんかない」
「自分の選択したい願望(受験・就職その他)を選択できてしまうのだから、
 自分の最適な方向に各自が簡単に走り出せてしまう」

 

のです。
こういった環境下で、ローカルなことに関心を払い、さらにその維持発展増幅に貢献してくれる人材はごく少数派でしょう。
使命感・義務感の強い人間、というのでなければ無理です。
そして現代のような過度に自由な時代にあって、使命感や義務感を感じられるのは、
言い方は悪いですが高い知性を有する人材だけです。
その人材はどこから来るのか。
これもまた言い方が悪くなりますが、外部の人間はあくまで外部の人間です。
いくら決意や覚悟が本物であったとしても、その土地に最後まで執着し続ける理由が
決定的にその人材の中に存在しない限り、その土地から離脱する可能性は常につきまといます。
結論を言ってしまえば、人材は各自治体が自家製的に養育するしかないでしょう。
その一端が教育補助事業です。
「教育が自治体の存続に直結しているという現実を、自治体がどの程度理解しているのか」
「教育に関する危機感をどの程度自治体全体で共有できているのか」
その自治体が文科省の方針とは別個に取り組んでいる教育内容が、
数十年後の当該自治体のありようをそのまま表しているかもしれません。
いえ、表しています。
その結果は、受験勉強をしなかった受験生の入試結果と同じです。
長文読解、お疲れさまでした。

英単語というストーリーに乏しい無味乾燥単純暗記が作る「壁」~余計にやり過ぎる人は強いという話~

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今回は、大学受験ひいてはその後の勉強全てにおいての適性を仕分ける境界について説明したいと思います。
キーワードは、単純暗記です。
さらに具体例を挙げれば、英単語の暗記がまさに単純暗記の代表例になります。
英単語のような、ある種機械的かつ無味乾燥な文字列の暗記、
しかもそれを大量にこなせるか、こなそうと思えるかが
志望大学を選定する上で重要な指標になります。

大ざっぱに表現すれば「ストーリーの乏しい無味乾燥なものもこなせる馬力の有無」が成果を左右します。
なお、今回は英単語帳ターゲット1900を用いた考察になります。

以下、段階別に述べていきます。


①一語一義で1000語覚える(ナンバー1~1000までの英単語)
 「一語一義」というのは、単語一つにつき、その単語が持つ一番メインの意味のみを覚えるといった意味です。
 これを習得できるとおおむね共通テストの長文読解にそれほど困らないといったレベルです。(共通テストの長文を速く読めるかどうかはまた別の話なので一旦置いておきます)
②一語一義で1500語覚える(ナンバー1~1500までの英単語)
 正直、共通テストでは1500語まではいらない気もしますが、

 各大学の二次試験を見据えて1500語までは覚えておきたいところです。
③一語多義で1000語覚える
 「一語多義」というのは、単語一つにつき、その単語が持つ複数の意味全てと、
 単語帳に記載されている派生語、類義語全てを覚えることを指します。
 この③からは、これまでの①②とは違った壁が存在します。
 覚える手間、時間ともに①②よりも大幅に負担が増します。
 経験上、①②まではこなせる学生が多いですが、③④、そしてこの次の段階である⑤をこなせる学生は少数派になります。
 (英語という教科自体への苦手意識、意欲も絡んできますので、
  単純に英単語を覚えられるか否かだけが能力を左右するというわけでは

  ありませんので悪しからず。
  あくまで判断基準の一つになりやすいというだけです)
 この③のレベルをこなせれば、共通テストリーディングで8割前後は

 安定する確率が高いです。飛躍した論理に聞こえるかもしれませんが、

 暗記を徹底できる力と速く問題を解く力は相関します。

 また、暗記を徹底できる力は、元々の地頭の記憶力とは似て非なる力です。
 勉強を徹底できる力と言っても過言ではありません。
 やや話が混線しておりますが、ここで言いたいことは
 「自分の記憶力に自信がない」場合でも、記憶力の強い状態を

 作ることは可能であり、生来地頭の強い他人と肩を並べることも

 可能ということです。
 (私も元々はかなり記憶力が弱いほうですが、

  徹底する力が妙に強いので暗記に支障をきたしたことはありません)
 またさらに、大学受験のような長期戦においては生来の地頭以上に、

 「徹底し尽くす力」が最も重要な能力になります。

 これは他記事でも随所にて触れておりますのでご覧頂ければ幸いです。
 
④一語多義で1500語覚える
 学習する手間は増えますが、③がこなせる学生であれば
 この④もさほど負担は変わらないと思います。
 MARCH、旧帝大以上の大学を志望する学生はこのあたりまでは

 押さえておきたいです。

⑤一語多義で1900語覚える
 ターゲット1900という単語帳においては、1500番以降はマイナー

 というかマニアックというか、試験問題ではあまり遭遇することのない

 単語が多くなります。
 よって、大半の学生にとっては無縁な単語であり、
 MARCH以上、旧帝大以上を目指す学生にとってもそれほど

 学習効果が高い単語ではありません。
 率直に言ってしまえば、覚えたからと言って得点にはつながりづらい単語群です。
 ですが、あえてここで取り上げるのは「余計な領域まで踏み込んでそれを

 全て覚えてしまう」こともまた能力の一つだからです。

 必要以上のやりこみ、しかも冒頭でも述べたような、
 単純かつ無味乾燥な機械暗記においてそれを徹底できることは、

 大きな意義を持ちます。
 こういった、ある種の「やり過ぎ」感は大学受験の勝率を高い領域で

 安定させる要因になります。
 また、「やり過ぎ」というアビリティは自分の能力の限界値を

 超えることも可能にします。
 志望校のランクを上げることも可能ということです。
 (私は受験生当時、要領を全くわかっていなかったので1900語全てを多義派生も含め  

  覚えてしまいました。
  センター試験レベルであれば1900語レベルは完全に無駄な労力でしたが、
  その甲斐あってか楽に合格できました)

 

繰り返しになりますが、単純暗記に抵抗があるか否かで学力に大きな境目が生じます。
機械的単純暗記に多少の苦手意識があっても、
他の領域を徹底する力があればMARCH前後の大学には十分いけます。
旧帝大レベルでも他の、思考力を要する教科が得意であれば十分合格可能です。
ただ、やはり高い勝率を安定させられるのは、単純暗記をゴリ詰めできる力の有無です。 
その有無で難関大に安定していけるかいけないかがはっきりわかります。

 

数学や国語等の思考力を要する問題が得意だったり、
または「ストーリーがあるから歴史科目は苦手意識ないです」という学生は一定数いるのですが、そういう地頭がそもそもいい子でも単純暗記は苦手であるケースが多かったりします。
地頭がいいがゆえの弊害、とも言えるかもしれません。
「思考力が高いがゆえに単純暗記に興味が持てない」「訓練的な作業が苦手」というような事情かと思われます。
(私のような人間は本来の地頭がそこまででもないので、
 機械暗記はむしろ気が楽だくらいに考えているのでそういった人の気持ちがちょっとわかりませんが)

 

まとめに入りますが、
ともかくも大学受験では「馬力が必要な単純領域」で違いが出ます。
あくまで難関大を志望する場合に限りますが。
そういった馬力の判断指標として、英単語の暗記が有用であるという趣旨でした。

改めて述べておきたいのは、本記事においては「単純暗記領域における馬力の重要性」について触れましたが、それが乏しいからと言って難関大に合格するのが極端に難しくなるわけではない、ということです。
旧帝大にちょっと危なっかしいけど滑り込める」というイメージです。
そういった学生は、実力は高いのでそこそこ勝率はあるのですが、
単純暗記の不利、やりきれなさの分だけ若干不安要素が残るというイメージです。
本記事が「自分はそういう単純暗記には絶対に向かないな」と思う人、あるいは「思考力にはちょっと自信ないけど徹底することならできそうかも」と思える人の志望校選定の参考になれば幸いです。