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父性≒厳しさ≒子供の学力~母親よりも父親の「親父」感・父性のほうが教育において重要である説~

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塾の運営をする中で、色々な塾生や保護者を目にします。
その中で「勉強に対して自発的で馬力のある学生とその保護者の特徴には相関があるな」と思うところがありますので、今回はそれについて語ります。

 

キーワードは「父性(父親が親父っぽい)」です。
言い換えると、「ある種の絶対性」「ある種の厳しさ」が家庭内にあるか否かです。
そしてその担い手が母親ではなく父親がメインである点が重要かと思われます。
以下、述べていきたいと思います。

 

最初に「父性が弱い家庭であるがゆえに子供の自発性や伸びしろが乏しい」サンプルについて触れたいと思います。
多少嫌な言い方をすると、そういったご家庭は、「父親の影が薄い」です。
存在感と言ってもいいかもしれません。
どちらかと言うと、教育熱心な母親の積極的な姿勢が前のめりになっており(それ自体はいいことなのですが)
家庭内を支配しているのは父親よりも母親の意思決定というイメージです。
ここで重要なのは

 

「母親が積極的であるとか教育に関心が強いとか、母親の立場が強い」

 

とかいうこと以上に

 

「父親が消極的である、影が薄い、弱すぎる、決定しない、絶対的な価値基準を持っていない、どこか厳格さがない」

 

といった「父親の総合的な態度の弱さ」がもたらす影響です。
ざっくり表現すると「親父っぽくない父親」です。
父性をあまり発揮していない父親がいる家庭で育った子供は、

 

「どこか馬力に欠け、曖昧で、執念もない、それゆえに自分の考えや言葉も乏しい」

 

といった特徴の子が多いです。
(あくまで私個人の私見なので例外は多々あるかと思いますが)
しかし、ここで重要なのは「いかめしくて厳しいだけの親父がいれば万事解決」
ということではありません。
それは却って逆効果かと思います。

 

常に父親がこうるさく教育や家庭内の決定に全て関わる必要はないのですが、
ある一点、あるいは複数の点において、明確かつ厳格な価値基準を
父親が所有しており、随時それを家庭内で発揮していて、
子供がそれを「親父の恐ろしさ、厳しさ」として認識し、
畏敬の念を大なり小なり抱いている状態が「親父(父性)が存在する家庭」の定義になります。
この反対の事例について考察してみると、


「父親が柔和でやさしい側面しか持っていない家庭だと、子供もなんだかふにゃふにゃしがち」


ということになります。

 

母親が厳しさや恐ろしさを担うご家庭も一定数あるかとは思いますが、
どういうわけか、母親よりも父親が「親父」を担当しているほうが
子供の自主性は強力なケースが多い印象です。
少なくとも私のこれまでの指導経験ではそうです。
「ある程度優秀なんだけど、でも能力の伸びしろの上限がすごく見えてしまう子」
のご家庭は、父親の影が薄いです。
薄くてもいいのですが、弱いのは問題かと思います。
ある意味、家庭にほとんど寄り付かない父親だとしても、
たまに子供と話して親父っぽい関わり方を実施して
子供の中に、母性とは違った父性の核や影が宿るだけでもいいです。

 

「子供の知性は母親の学歴と相関する」という言説が、
ある程度のエヴィデンスに基づいて昨今まことしやかに囁かれています。
私も、それはある程度妥当な事実であるとは思います。(あくまである程度です)
しかし、それ以上に重要なファクターであるのが父性の有無や濃淡ではないかと感じています。

 

本記事の趣旨は「育て方や教育手法云々の前に、父親がはっきり親父をやったほうが多分いいことがありますよ」ということです。
父性が強い家の子は、特徴としては自発性が高く、
言語化能力が高く、合理性が高く、健気なほどに自分のための努力に一生懸命です。
一言にまとめると「執念が強い」です。
父性が薄い家の子は、どこか曖昧で、逃げ癖が多く、
自分の意志が感じられません。
頭はそこそこいいケースが多いのですが。
これもまた一言で言えば「何に対しても執念が感じられない」です。
私個人の観測の範囲ですので、確かなエヴィデンスがあるわけではないのですが、
「父親の父性の強さ・合理性と子供の強さや柔軟性、知的馬力には相関がありそう」
と感じることは多いです。
「母親が教育的かどうか」はあまり大した影響がないというか、誤差程度しか影響がないように思います。
「母親が特別学歴が高いわけでもないし、塾に通わせる程度の教育への意識はあるけど、そこまで教育熱心というのでもないのに、その子供は随分馬力も執着もあってそれがゆえに高い結果が出せるなあ」
という子はごろごろいます。
そういった指導経験から「母親よりも父親のほうが教育において重要な要因ではないのか」と考えるに至りました。

 

世に流通している教育ママ本、お受験成功体験本では、
どういうわけか著者が母親ばかりで
母親の手法がクローズアップされがちですが、
私個人としてはそれよりも前に、その前提として「親父」の存在感のほうが重要なファクターになっていると考えます。
「親父の空気、親父の価値観の厳格さや精密さ、合理性」のほうが最重要指標であると感じています。
手法が活きるかどうかは、親父次第です。
教育手法はもちろん重要ですが、手法がうまく「のる」かどうかは、
手法以前の家の空気感次第であると思われます。
(上述したような教育ママ系の手法を真似して、
 大して効果が出ないと感じられる方がおられる場合、
 それは手法の問題ではない可能性が高いです。
 手法やテクニックというのは再現性が高そうに見えるのでウケはいいのですが、
 案外、その人が成果を出せているのは手法やテクニック以外の要素が根本原因である

 こともあるのです。
 私自身は、教育ママ的な著書に記載されている内容はおおむね妥当なものであるとも

 思いますが、しかし枝葉の部分であるなとも感じています。
 もっと重要なファクターが存在しているだろうと。
 大体、そんなに大したことは書いてないじゃないですか、そういう本。
 結構当たり前のことしか書いていないというか。)

 

そして「のる」かどうか、その決め手は親父の価値観の強度です。
父性の力です。

父性は、教育手法がうまく軌道に乗るかどうかの下地とも言えます。
父性の内実については総合的なものなので、別途記事で今後述べたいと思いますが、
ざっくり一言で言ってしまうと

 

「少なくとも何か一点において、あるいは複数の領域において、厳格な価値基準を持っている。それについては『この基準を逸脱することは断じて許さん』と躊躇なく言える」

 

です。
ある種の「絶対的な厳しさ」をどこか一点でも持っているということです。
それは母親には担いきれない要素です。
なぜなら母親には、やはり自分のお腹を痛めて産んだ子供に対して、
厳しくなりきれない部分、情愛の部分がどうしても出てくるからです。

 

そして、親父の厳格さが、どう子供に影響するのか。
それは「厳しさを受け入れられる強さ」を獲得できるようになることです。

 

「親父にどこか厳しさがある」≒「子供が知的訓練において厳しさに耐えられる」

 

という図式です。

要は「厳しさに慣れているから耐えられる。努力ができる」のです。
厳しさに耐えられない子というのは、端的に言って逃げ癖がついています。
自分の現状からも逃げますし、目標達成のために必要な努力からも逃げます。
自分の都合の悪いことからも逃げますし、自分の進路や将来からも逃げます。
逃げ続けて何も決定しません。
あらゆる厳しさ、めんどくささを受け止められないのです。

そしてその背景にあるのは、親父の恐ろしさ、厳しさの不足です。
「逃げたって罰則がないし、厳しく𠮟られることもないし、逃げちゃえ」
です。
おおざっぱな言い方をすると
「親父なんかちっとも怖くねえから何でも自由にやろう」
です。
(これもまた私見ではありますが、能力が高かったり執念が強い子の家庭は
 ほぼ例外なく「何らかの厳しさ」が家の中に漂っています。
 別に、常にピリピリしているということではありません。
 いざという時に「それだけは許さないぞ」という一線が明確に設けられているということです。
 そしてそういった厳しさのポイントの数が一定以上多い印象です。
 「何らかの質の高さ」とはやはり「何らかの厳しさ」によってのみ担保される

 のでしょう)

父性的な物言いが最近許容されづらくなってきている世の中にあっては、
今後柔和なやさしいお父さんが以前にも増してますます増えるかと思いますが、
私個人の勝手な予測では、

 

「短期的にはいいことのように見えて、長期的にはまるでよくないことだ」

 

と考えています。
家庭の中の気楽さや過ごしやすさなどの快適さの面では向上するのでしょうが、
長期的に見て教育効果的な損失のほうがそれらの快適さを上回ってしまう気がしています。
(あくまで私個人の印象です)

 

「柔和でやさしいだけのお父さんが増える→父性が減る
 →ふにゃふにゃした子供が増える→優秀な人材が育ちづらくなる

 →社会が成立しづらくなる」

 

のではないかと考えています。
誤解しないで頂きたいのは、柔和さややさしさそれ自体を否定しているのではないということです。
むしろ普段はちょっと気が抜けてるくらいでもいいと思います。
「厳格すぎるだけのいかつい親父」が家の中にいてもうっとうしいですから。
ただ、柔和さがベースにあるとしても、先に述べたような
「少なくとも一点以上は厳格さを持っている」
これの有無が非常に大事だと考えています。
0と1では大違いです。
(まあ、父性が強いことはいいことと同時に厄介なこともありますので
 手放しに誉められたものではないのですが、しかしやはり重要な

 教育資産ではあります。
 毒がなければ、薬にもなれないということかもしれません) 

 

まとめとプチ対策に入ります。
父親が「親父」っぽく家庭内で父性を発揮できているのか、それの有無が
子供の知的強度に関わるのではないか、というお話でした。
「父性」や「厳しさ」と言うと、昨今の時代性とは逆行する空気をまとう言葉遣いではありますが、「やはり一定の厳しさや絶対性は必要なのでは」
と薄々思われている方もある程度いらっしゃるのではないかと
塾を運営する中で肌で感じております。

 

もし仮に「うちは父親が弱そうだからどうしよう」と思われる方が読者の中にいらっしゃる場合には、手始めとして「許さない」という言葉遣いを父親が習慣化してみることをお勧めします。
「許さない」「追い出す」「駄目なものは駄目」などなど。
「親父っぽいフレーズ」を、とりあえず形だけでも示すのが大事かと思います。
父性の正体は、言葉遣いです。
女性ではなく、なぜ男性の親が厳しさを担いうるかと言えば、
男性のほうが言語的側面、論理的側面が強いからです。
ある種、非情になれるのが父親の強みとも言えます。
厳しさとは言い換えれば、ルールです。
絶対的なルールが存在するからこそ、その枠の中でどうすればよいかを人間は考えるようになります。
おそらく、それが「父性豊かな家庭の子供が自発性が高い」ことの根本原因です。

また、「厳しさに慣れている」ということはそのまま「自分に対して自発的に厳しさを課す」ことも可能にします。

裏返すと「厳しさに慣れていない」子は「自発的に自分に厳しさを課すこともできない」のです。
母親がルールを設けることも可能ですが、やはりどこか恐ろしくなりきれない部分がどうしても出てきます。
これは母性がある限り、致し方ないことです。
「ならぬものはならぬ」これを徹底できるのは恐らく父性を自然と所有できる父親だけなのでしょう。
「前時代的な親父感」にも意外と重要な価値が隠れていたのではないか、というお話でした。

 

長文お疲れ様でした。

 

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