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教育に危機感がない自治体は今後大体滅ぶという話~山形県真室川町の教育補助事業の素晴らしさを例に~

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今回は、山形県真室川町(まむろがわまち)の教育補助事業の素晴らしさについて触れたいと思います。
(私は米沢市在住の人間ですので真室川町の回し者ではございません。悪しからず)
なお、素晴らしさに触れるついでに「教育事業に積極的でない自治体の末路」にも触れていますので、最後までご覧頂ければ幸いです。

 

真室川町では、学校教育に加えて自治体が英語の追加授業を設けています。
授業内容は主に英検に関することです。
費用はテキスト代程度であり、実質無料です。
数年前から当該の取り組みを実施しているようで、英検の受験率が向上するなどの成果も出ているとのことです。
私個人の見解ですが、こういったことに独自に着手する自治体は今後増えていくことでしょう。
やはり学校教育だけでは、全体的な知的向上を図るのは物理的に限界があるからです。
危機感の強い自治体ほど、その現実に気付き始めているのでしょう。
過疎化、少子高齢化を危惧する自治体であるほどに、投資的な側面から
こういったことに随時注力していく時代になるかと思われます。
ある意味では、自治体ごとの教育格差が俄然助長される形になるかと思います。
教育は、投資です。
投資意識のある自治体には、生き残れる確率が一定程度担保されるかもしれません。
文科省自治体の教育の命運を預けっぱなしする時代は終わりでしょう)

英検自体を私は取り立てて重要視していませんが(準一級以上は重要です)
今回の件で私が素晴らしいと思うポイントは

 

自治体が無償で教育補助に乗り出し、学力向上の成果も出てきている」

 

という点です。
実施すべき投資を今のうちに投じているその姿勢と危機感は素晴らしいものです。
英検3級までが指導範囲とのことですので、ある種英語の基礎までの勉強ではありますが、しかしこれは大きな意義を持ちます。
やはり学習の初動段階、特に英語においては中学1年生頃から、
こういった英語学習・訓練に触れる機会が多いということは非常に重要です。
「早めの慣れ」というものが、その後の複雑化・大量化する学習において
抵抗や拒否反応を示さないための重要な要因になるからです。
ざっくり言ってしまえば

 

「昔からある程度訓練してきたことはその後も継続しやすい」


のです。
きっかけや初動というのは非常に重要です。
例えそれが小さいきっかけや、基礎的な内容だったとしても、
持っているのと持っていないのとでは大違いです。
初動の補助・機会がないばかりに、本来であれば出し切れるはずの潜在能力も
それを発揮する機会が失われたまま学年を過ぎ去ってしまうということになりかねないのです。特に英語は、初動でつまずいたままであればそのままリカバーの機会を失いやすい教科です。その意味で、真室川町の取り組みは本質的なものであると言えるでしょう。

 

もちろん、自治体が実施可能な指導にも限界はあります。
それは大学受験であるとか、そういったハイレベルな指導内容に関してです。
指導できる人材も、それに伴う予算も自治体が請け負う範囲を逸脱するものになるからです。
流石にそのレベルまで自治体が請け負う必要はないと私個人は考えています。
しかし、そうであればこそ、限界があるからこそ、それ以外の領域において実施すべきことをやらねばならないというのもまた事実です。
つづめた言い方で表現すれば

 

自治体は教育補助事業を実施すべき。そしてその範囲は基礎的なもので構わないし、それで十分である」

 

です。
真室川町の取り組みは、まさに理想的な内容と範囲であると考えます。

 

「何もかもが自治体発でできるわけではないけれど、でもやれることは自治体の側から実施しておこう」

 

理想論ではありますが、他の自治体も教育においては真室川町の後を追うべきだと考えます。
教育投資なき所に遠からず訪れるのは長期的な死です。
具体的には自治体の消滅です。
これは自治体に限らず、各世帯についても言えることです。
力が育たないわけですから、滅ぶのは当然の論理です。

 

話は若干それますが、山形県では以前、小国町という地域でも教育補助事業が実施されていました。関東から予備校の指導陣を呼び寄せて勉強法などの講座を設けるという内容のものでした。自治体の取り組みとしてはかなり先進的かつ重要な内容であると思います。
(小国町の教育補助事業は、町長交代と共に終了してしまったようです。
 詳細は不明ですが、中止された理由は
 「前任者の取り組んでいた事業なんか自分が引き継ぐ筋合いはない」
 あたりかと思われます。
 政治的な理由で教育推進の道が途絶するのは痛ましい限りですし、実に下らないです)

真室川町や小国町のような補助事業に、未だに取り組んでいない自治体は、
自治体としての教育への危機感があまりないのでしょう。
将来の人口減のことを考えれば、教育に対して今のうちに絶対に投資すべきなのですが。

 

「人口減・少子高齢化」→「一人当たりの教育濃度向上の必要性」
→「それがない」→「自治体のトータルな力の減少」→「自治体消滅」

 

これは極端な想定ではありますが、おおむねこの道筋をたどるのが相場かと思います。
その自治体の文化が素晴らしいとか風景が美しいとか歴史と伝統が豊かとか言ってみても、それを受け継ぐ人間が一定数以上いなければ、意外と早期に何もかも消滅あるいは断絶するものです。
そしてそれらの抽象的なものというのは、抽象的な事柄を理解できる知性を持つ人間でなければその重要性や価値を認識できません。
抽象的理解力を所有できるのは、一定以上の学業的訓練を経た人材だけです。
具体的に言ってしまえば、地方国公立大学以上程度の学力を有する人材でなければ、
ローカルな文化や伝統を認識、着想、維持、発展させる事業に取り組むことは難しいでしょう。
(もちろん学歴が低くても優秀な人材はいますが、そういった人は例外的な存在です)
地元出身の人間が自動的に地元に居住を選択し、自動的に学力を自ら訓練し、自動的に地元文化の維持と発展を担ってくれることを期待する時代は既に終わっています。
構成員の大半が県外出身者である、まちおこし協力隊が全国に存在することからも、それは明らかでしょう。
地元の維持発展増幅に関心がある人材は、枯渇気味であると言っても過言ではないでしょう。

 

平成初期の頃までは、インターネットも普及しておらず、情報が封鎖されており、
ある意味では「仕方なく地元に残るしかないから地元のことでも頑張っておくか」という具合に地元の事柄に尽力してくれる人材を自然に確保できていました。
「封鎖されている」「閉鎖的である」という制約が、コミュニティを成立させる面においてよい方向に作用していたのです。
今やインターネットによる情報獲得の機会はスマートフォンの普及と共に所与のものと化し、あらゆる行為を選択する幅が拡張されています。
受験、就職、旅行、その他もろもろに関する情報へ接触する機会が増え、世の中が流動的になっています。
多様性と流動化の著しい時代にあって、自らが所属する自治体に関心をさく分量が多い人間の数は自ずと減るものと思われます。
多様性の功罪です。
ざっくり言ってしまえば

 

「娯楽が無限にあってずっと暇つぶしできるから他のことを考える暇なんかない」
「自分の選択したい願望(受験・就職その他)を選択できてしまうのだから、
 自分の最適な方向に各自が簡単に走り出せてしまう」

 

のです。
こういった環境下で、ローカルなことに関心を払い、さらにその維持発展増幅に貢献してくれる人材はごく少数派でしょう。
使命感・義務感の強い人間、というのでなければ無理です。
そして現代のような過度に自由な時代にあって、使命感や義務感を感じられるのは、
言い方は悪いですが高い知性を有する人材だけです。
その人材はどこから来るのか。
これもまた言い方が悪くなりますが、外部の人間はあくまで外部の人間です。
いくら決意や覚悟が本物であったとしても、その土地に最後まで執着し続ける理由が
決定的にその人材の中に存在しない限り、その土地から離脱する可能性は常につきまといます。
結論を言ってしまえば、人材は各自治体が自家製的に養育するしかないでしょう。
その一端が教育補助事業です。
「教育が自治体の存続に直結しているという現実を、自治体がどの程度理解しているのか」
「教育に関する危機感をどの程度自治体全体で共有できているのか」
その自治体が文科省の方針とは別個に取り組んでいる教育内容が、
数十年後の当該自治体のありようをそのまま表しているかもしれません。
いえ、表しています。
その結果は、受験勉強をしなかった受験生の入試結果と同じです。
長文読解、お疲れさまでした。