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国語が苦手な子への対策の一つ~文化数とカルチャー数を増やすことの重要性~

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今回は、子供(小中学生)の国語の苦手対策の一つについて語ります。
国語が苦手な高校生の背景にもなりえる話です。
これはあくまで数ある対策の一つですので、これだけで全てが解決するわけではありません。
ご了承ください。

 

なお、今回説明する手法とは別の手法の概要を軽く述べてみると
「国語の回答ルールを正しく覚える」ということに尽きます。
こちらは学習というかお勉強的な側面の対策です。
今回説明する対策は、いわゆる教科書的なものや学習面でのテクニックとは違ったものになります。
ある意味、勉強以前の問題、勉強よりももっと本質的かつ重要な発育に関する対策になります。
少々長い内容になります。

 

まず、私のこれまでの経験則から触れてみたいと思います。
「症例」と言って差し支えないかわかりませんが、おおむねそのような状態を見聞きすることが多かったです。
この場合の「症例」とは何か。

 

「国語が苦手」→「国語の点数が低い」

 

こういった状態の子供たちに共通していることは、
「知っている語彙が少ない」or「大ざっぱに言ってモノを知らない」です。
ざっくりまとめると、知識が不足しているのです。
これは、元々勉強が苦手な子はもちろん、進学校に在籍する子も含みます。
「これくらいはなんとなく一般常識として知ってるんじゃないのかな」と思うような内容も、
尋ねてみたり雑談する中で、全く見当はずれな内容を返してくることが多かったです。
「投げかける問いの内容がハイレベルすぎたのでは?」との声もあるかもしれませんが、どうもそういったことが原因ではないようです。
一例を挙げます。


「『どぎまぎ』って表現は、いい方向の意味か悪い方向の意味かわかる?」と尋ねると
「いい方向の意味」と答える子がいました。
この子は勉強が苦手なほうではありません。
むしろちょっとできる側の子です。
国語だけが苦手ということで入塾した生徒でした。
その他にも複数の問いを投げかけましたが、やはり頓珍漢な内容が一定程度含まれていました。
頭が悪いのではなく、単に知識が不足しているのです。

ここで言いたいことは、

 

「母国語である日本語だから当然大体のことは知っているだろう。
 日常会話だって問題ないのだし」

 

と思っていると「意外とそうでもない」ということです。
単純に言葉の意味やニュアンス、いい意味か悪い意味かも見当がつかない状態の子は、
私たち大人が想定する以上に数多くいるのです。
繰り返しになりますが、これは勉強が苦手な子に限ったことではなく、
勉強が得意な子においても当てはまることです。

 

語彙不足に加えて、さらにもう一つの特徴があります。
冒頭に述べた「大ざっぱに言って、モノを知らない」という特徴です。
前述した語彙不足と区別してみると、これは雑学不足と言えます。
これもハイレベルな知識が云々という話ではありません。
「私(筆者)が子供のころにテレビや雑誌、漫画、映画、ゲームその他で見知った程度の浅い知識」
のような領域においても「それはわからないです」と答える子が多いです。
「普通に暮らしていれば、単語のおおよその意味やニュアンスくらいは
 テレビ・ニュース・雑誌・漫画その他などで目や耳に入るはずだけどなあ」
と思える程度の知識です。
この雑学不足が目立つ子が、それなりに目につく頻度で存在します。

そして、こういった子供たちに共通していることは

 

「普段触れている文化の数、カルチャーの数がちょっと少ない」

 

ということです。
これはあくまで私個人の偏見も含まれますので、信頼できる調査結果というわけでもないのですが、
私個人の計測する範囲ではおおむねこういったサンプルが多いです。

「文化の数、カルチャーの数が少ない」

を別の表現で言い換えると、

 

「自宅にて勉強以外に触れるモノが少ない」

 

ということです。全くのゼロということはないようですが、
とにかく少ないです。
以下、例を挙げます。

 

・テレビゲームが家にない
・勉強する時間帯がきっちり定められている
・漫画の数が少ない(ほとんどない)
・その他、映画、雑誌などの気配が少ない

 

などが主な特徴です。
これもまた推測の域を出ませんが、そういった保護者の方と話してみたり、
その子供たちから話を聞いていると
「勉強に集中できるように、他のことに気がそれないように そういった環境を意図している」
という事情のようです。
この方針が完全に間違っている、とは私は思いません。
事実、こういった空気のご家庭で兄弟がいる場合、どちらか片方は思惑通りに勉強に集中し、成績も一定以上のものを出しています。
しかしまた、どちらか一方の兄弟がどうも積極性というか、活発さに欠けるようになるというのも傾向として見受けられます。
兄弟間で思うところも色々あるのでしょうから一概には言えませんが、
なんとなく私の感じるところでは
「ある情報だけを摂取するように限定された空間における功罪」
といった感があります。
そしてこういった兄弟の例で言えば、
「親の思惑通り軌道に乗っているほうの子供」と
「親の思惑を外れて勉強にやる気のない子供」については、
前者はともかく、後者は

 

「勉強に対して積極性・主体性に乏しく、それに伴って進路についても無関心であり、
 語彙も少なく知識も乏しい」

 

と言えます。

やっとここで本題に入りますが、そういった子供への対処はどうすべきか。
あくまで私個人の推論に基づく仮説ではありますが、
なんとなく成果が出ているのかもしれないなと思える施策があります。
それは、

 

「文化数とカルチャー数を上げる」

 

という施策です。
具体的には「勉強以外の、漫画、映画、アニメ、ゲーム、その他なんでも」に触れる回数を増やすということです。
上述したような「特定の情報以外の情報が封鎖されているような環境」は、
ざっくり表現すれば「勉強以外の情報が遮断された環境」です。
親の目論見通りに、勉強にのみ関心を向けられる子であればそれでもいいのですが、
そういった適性に乏しい子にとっては、身の回りを包む情報量が極めて乏しい環境です。
これでは好奇心や情動性の助長に支障が生じる可能性も高いと言えます。
なんせ「面白い」と自然に思えるものが身の回りに少ないのですから。
これもまた私の持論ですが、
「勉強だけしていると長期的には却って頭が悪くなる」
と思っています。
これは、ある程度根拠があってそう考えています。
その論理は以下のようなものです。


※本記事における「文化数・カルチャー数」とは、以下のようなものを指します。
 文化数→クラシック音楽・催事・体験学習などの、常識的かつ王道の文化を体験した数
 カルチャー数→漫画・映画・音楽・ゲームなどの、娯楽に属する軽文化を体験した数

 

「文化数・カルチャー数の数が少ない」≒「全身に浴びる情報量が少ない」
→「頭や体に入る知識が少ない」
→「何か物事を見たり聞いたりした時にそれがどのような特徴があるのか、
  違いがあるのか、などを思考するために必要な知識・前提のようなものが
  脳の中に少ない」
→「比べたり例えたりする力の低さにつながる」
→「感動や興味が湧いてくる率が下がる。なお、記憶する力も下がる」
→「自分が何かを感じたり考えたりすることが不得意になり、面白さも感じない」
→「低かった自発性・積極性がなおさら下がる」

「語彙や知識量」と、「記憶力・自発性・情緒」には大きな相関があります。
大ざっぱに言ってしまえば
「たくさんのモノ・語彙を知っている人間は、脳内に比較対照するサンプルが多く蓄積

 されているがゆえに知識の関連づけが発生しやすく、例え話を自ら構築しやすいので

 アウトプットする力も高い。
 そしてそれを通じて自分が感じたり考えることを面白いと感じられる。
 現状よりさらにたくさんのモノを記憶でき、好奇心を拡張させ、ますます自主性が

 強固になっていく。未来・進路への思考も自発的に行う」

のに対し、

「モノ・語彙の知識量が不足している人間は、脳内に比較対照するサンプルが少ないが

 ゆえに知識の関連付けが発生しづらく、例え話を構築しづらいため言語可能力も高ま

 りづらい。そしてそういった「物事を感じたり考えたりすること」に面白さを

 見出しづらくなる。
 自分が物事を感じたり考えること、分析することに面白さを感じられないがために
 「面白いことがないなあ」という状態になり、自主性が乏しい状態が続く。
 自分の将来すら自分ごととして考えない」

という構造になります。
「強い人間はますます強く」なり、「弱い人間はますます弱く」なる法則の典型的な事例になります。

勉強に対して自然にモチベーションが湧かないお子さん、主体性の乏しいお子さんに対しては勉強以外の情報を浴びせてください。
ただし、大量に与えてください。金銭面と相談しつつも。
「そんなことをしたら勉強しなくなるのでは?」との懸念も想像されますが、
ご安心ください。
本記事は、「勉強以外のことだけを大量にさせろ」という趣旨ではありません。
文化数・カルチャー数を増加させつつも、
「お前、勉強も同時にちゃんとやるんだぞ」
と言えば大丈夫です。

ある種、馬の鼻先に人参をぶら下げる形にはなりますが、
とにもかくにも情報量を多く摂取させるということが何より大事です。
特に物語が大事です。
どんな物語でもいいです。
とにかく大量でありさえすれば。
漫画であろうが映画であろうがアニメであろうがゲームであろうが何でもかまいません。
(優先順序を強いて挙げれば、漫画・映画・音楽をアニメ・ゲームより優先したほうが

 いいかとは思います。前者はある程度主体性を要するのに対し、後者は派手な演出や

 気楽さが先行し、受動的な傾向があるからです)
物語からこそ、「語彙の数・人物の情緒」について直感的に学べる部分が多いです。
国語が苦手な子は、この双方に関する感度・知識がとにかく低いです。
理解力は高くても、肝心な着想というか共感の部分が未発達であるケースが多いです。
特に漫画においては、物語という情報量以上に、ストーリーに付随する雑多な知識というものが意外と大きな影響を持ちます。
専門書を読み込まない限り得られない雑学を、漫画をよく読んでいる子供のほうが世間一般の大人よりも概要を把握しているというようなことはままあります。
こういった「雑多な知識」というものが脳内において、外界からの情報を解釈・記憶する際の重要なきっかけ、トリガーになるのです。
これは、長期的には勉強への適性と積極性にも関わってきます。
勉強も、大きいくくりで言えば雑学の範疇だからです。
それがオフィシャルなものであるか、そうでないかの違いがあるだけです。
雑学への好奇心は、そのまま勉強への好奇心へもスライドする可能性が高いのです。

 

今回は国語に関する内容でしたが、

「語彙・雑学知識」の多寡が及ぼす「記憶力・自発性」への影響は、全ての教科の学力とも相関します。

さらに言えば、「伸びしろ」にも関わります。

語彙の力・雑学の力が強い子ほど、学力の伸びしろ・上限も高い傾向にあります。

(あくまで私個人の観測の範囲内において、ですが)

そういった子ほど、現状の学力よりも高いランクの志望校に受かるための学力を、スムーズに身に着けられることが多かったように思われます。

 

今回述べたような「大量の情報を浴びせる環境にする」施策は、
効果が出るまで長い時間がかかります。
勉強のように、正しい訓練内容であれば短期間で結果が出せるというような簡単なものではありません。
そのため、早期に試してみることをお勧めします。
長文お疲れさまでした。