山形県米沢市のオンライン高校・大学受験塾「伝説の松本学習塾」のブログ

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SSHは期間を短く、なおかつ2年生のうちに全て終わらせてくれないかなーという話

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今回は、SSHスーパーサイエンスハイスクール)制度について思うところを語ります。
SSHについては以下のリンクより概要をご覧頂ければと思います。
https://www.jst.go.jp/cpse/ssh/
早い話が
「高校生に大学の研究の疑似的なレベルなものを少人数班編成で一定期間やらせる試み」
です。
結論から申しますと「SSHは2年生のうちに全てさっさと終わってほしい」です。
以下、詳しく述べていきます。

SSHは2年生の最後のあたりまで大半の生徒が取り組みます。
大半の学生は2年生のうちにSSHの取り組みは終わります。
そういった学生については大丈夫です。
ただ、そこから入賞というか優秀な成果を出せた生徒は
それ以後、具体的には3年生の5月に全国大会に向けて入念な準備が課せられます。
当塾の塾生でもなんの因果かそういった全国大会の候補者リストに選ばれてしまう学生が何人かいます。
正直、受験生には邪魔以外の何物でもないです。
貴重な時間が奪われているというのが率直な印象です。

そもそも、3年生の時期に割り込む意味がわかりません。
受験生の時間を割いてまでやるべき内容かと言われると、全くそんなことはないです。
研究は大学に入ってから頑張ればいい話です。

また、SSHの取り組みに関して大してやる気のない学生が入賞候補に入る事例もあり、
そのあたりの事情や流れもかなりどうでもいいです。
頑張って頭をひねった学生やアプローチ、馬力を評価してやるならまだ話はわかるのですが。
率直に言ってしまえば、各教授や専門家がどのテーマを与えるかで50%以上入賞するか否かは
最初から決まっているのですから、学生の優秀さ如何以前にどのテーマを引き当てるか、
つまり運の要素で優秀者が決まる部分が多いと言えます。
(まあ、本来の研究も多分に運の要素が絡みますのである意味リアルと言えなくもないですが)
もちろん、優秀者の候補に入った学生の中には、真剣に取り組んで頑張った学生もいると思いますので
その点は偉いとは思いますが。

率直に言ってSSHは、受験に邪魔ですし受験以外の領域においても大して役には立ちません。
取り組み自体はいいことだと思いますが、あくまでこれは疑似体験であり、
そういったプチ体験は、あくまでプチ体験としてさらっと短期間で済ませればそれで十分だと思います。
プチ体験、疑似体験なんて本場の実践においては何の足しにもならないのですから。
あくまで一瞬さらっと触る程度でいいと思います。
「本格的な疑似体験」は数日から2種間程度の短期訓練なら効果は濃厚だと思いますが、
それを超えると徐々に意味合いが薄くなり時間の浪費にもつながるかと思います。
適性のある学生やその取り組みに対して意欲旺盛な学生であれば長期的に続行する意味合いはありますが、
適性のない学生や消極的な学生に関しては、単なる時間の浪費でしかありません。

研究・分析、プレゼンやそれに関する準備なども、どうせ将来的に実践で間違いながら学べばいいだけのことです。
研究やら学問においては、実践こそが最高の訓練です。
作業内容の概要だけさらっと触って、なんとなくロールプレイさせて学生が「そう言えば高校時代にやったことあるかなー」
程度に思わせられれば疑似体験としてはで十分でしょう。
半端に足を突っ込むような試みは時間の無駄です。
もちろんSSHの内容自体はいい試み、取り組みだとは思いますが、
実施期間の長さと実施する時期に課題があると考えています。
できれば改善してほしいですが、恐らく無理でしょうね。

話は変わりますが、SSHでふくらました学生の自意識とか夢とか知的好奇心、
それらを達成させるのは、、気持ちとか夢とかイメージではなく、実践的な勉強の腕力ではないでしょうか。
SSHの実施意図は、大ざっぱに言って「知的好奇心を拡張し、学生の進路への意識を高める」だと思います。
もっとざっくり言えば「でっかい夢を早いうちに具体的に持たせられればいいなー」くらいのことかと思います。
しかし、現実を言ってしまえば、受験の実力すらない人間が、学問研究領域において大きな夢をかなえる力を所有しているわけがないです。
したがって、自分の志望する研究内容、分野をどうにかしたいのなら、
SSHなんかさらっとやって「こういうもんなのかー」程度にしておいて
さっさと受験勉強で勝てる訓練に時間を割いてください。
「必要な訓練をしないでオリンピック選手とお話してなんか大きい夢だけ持ちました」
みたいなことは、後でがっかりさせるだけ無駄というか、教育者側のちょっとした犯罪な気がします。
力を与えてください。
必要なものは具体的な力です。
夢や欲求だけ与えても無意味です。
夢や欲求なんてものは各人が勝手に見つけたり遭遇するものですから。
SSHの、知的好奇心の枠を広げるという意義はわかりますが、
「広げた後はお前ら勝手に自分で実力つけろよばいばい!」は無責任だと思います。
「つけろよばいばい!」で終わるなら百歩譲ってまだいいのですが、
SSHという制度自体には罪はないのですが、
興譲館米沢市の偏差値高めの高校)をあてにしてればいいとこ行けるよ!
 SSHで高めた意識とか野心を叶える手段を学校が提供しますよ!」
的な学校側からのアプローチはやめたほうがいいと思います。
率直に言ってそれは非現実的だからです。
(詳しくは当ブログ内に「学校というシステムが受験対策においていかに限界を有するか」のような
 記事が複数ありますのでそちらを参照して頂ければと思います)
興譲館の上位60人くらいは東進ハイスクールに通っているわけで、興譲館をあてにしていないわけです。
わかっている人はわかっているわけです。興譲館というか、興譲館に限らず高校のやり口では多分ダメだなと。
そういう生徒はいいんです。
あてにならないとわかっているわけですから。

ただ、中には高校をあてにしてしまう素直な生徒も一定数いるわけです。
「この学校のテキスト使って、先生の言うことを聞いてれば大丈夫なんだ」と。
全然大丈夫じゃないです。
(まあ、このあたりに自力で気づくのも頭のよさのうちだと思うので
 全て学校に責任があるというわけではないのですが)
自称進学校を信用した結果、
旧帝大あたりに行きたいなーって夢だか希望だけ膨らんだけど受験の力鍛えるのが下手で、
 地頭はいいのに結果的に地方国公立の低いところにしか行けませんでした」
みたいな話が私の身近でもあるわけです。
これは恐らく私の身近に限った話ではなく、全国的にありえる事例ではないかと推測します。

ここで重要なのは、私のような存在が
「高校のやり方じゃ足りないし、下手だし、物理的に量が不足してるから参考書をやりこむ勉強のほうがいいよ」
と言っても
「いや高校の先生を信用してるし、他の同級生も高校配布の教材でやってるし自分はこのスタイルでいきます」
のような態度で受験勉強を続けてその結果大して成績も上がらない事態に陥ること、
つまり効率的な勉強法を受け入れる柔軟性が学校のせいで失われることです。
(私が大昔に家庭教師をしていた頃の話です)

このエピソードで語りたいことは
「高校を信用しろみたいな態度の挙句、他の勉強法を受け入れる可能性をつぶして、
 その挙句大して実力も上げられないのは高校の罪でしょ」
ということです。
そういった事例が多々あるからこそ「自称進学校」などと揶揄されることになるのです。
成果が上がる勉強法を外部の人間が教示してもそれを受け入れる柔軟さが、高校のせいで失われるわけです。
しかも夢とか希望だけを各人の頭の中に膨らませた状態で。
言い方は悪いですが「巧妙に仕組まれた無自覚な軽犯罪」という印象です。
知識も経験も浅い10代の子供は、学校の先生が言うことなら、
しかも「一応」進学校の先生が言うことならなおさら信用してしまう確率も高いかと思います。
残念なことです。

話が若干迷走しましたが、論旨としては
SSHの意義は認めるが、せめて2年生までに全て終わらせてほしい」といったところです。
3年生に割り込む意味がわかりません。
SSHをやめろとは言いませんが、早めに終わったほうが絶対いいのになと思っています。
(どうせなら実施期間ももっと短くていいと思っています。どうせ疑似体験の域を出ないのですから)
実践的な知的腕力と、それを鍛える訓練だけが現実的に世の中から求められます。
そこから目をそらなさいことでしか、現実は動き始めません。

まずは志望する大学に入ることが先決です。

そのための受験の力を鍛えましょう。

学生にとって最重要な現実とはそれだけです。

 

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進学校から出される課題は全て答え丸写しで提出していいという話

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今回は、進学校で出される諸々もの課題への対処について語ります。
結論から申しますと「全部答えを写して(配布されている場合)提出してしまえ」です。
何のためにそんなことをするかと言うと、時間を節約するためです。
推薦入試のために評点を稼ぐ必要がある学生はまた別かもしれませんが、
一般入試で戦う受験生に限っては、学校からの課題に無理に付き合う必要はありません。
「この課題、意味あるのかなあ」と思ったことがある受験生の方は
堂々と課題と縁を切る道を選んでください。

若干の補足を加えますと、学校から出される課題を後々復習する学生はほぼ皆無かと思われます。

反復練習や定期的な復習を実施しない課題はただ通り過ぎるだけの無意味な課題です。無意味であるというのは言い過ぎかもしれませんが、ほぼ無意味なのは間違いないです。「なんか勉強した感」は得られますが、長期的に脳内に残るものは少ないのが実情でしょう。

学校の課題は、時間の浪費という意味でも意味性が薄いですし、学習内容としても一過性のものに過ぎず定着率が低いと言えます。
以下、詳しく説明していきます。

 

まず最初に断っておきますと、学校からの課題というのは受験において有用であるケースは
ほとんどありません。
問題のレベル設定も各人の実力に見合ったものを課すことができるわけでもありませんし、それでなくとも無暗に簡単か、逆に異様に難しいだけの課題であることが多いです。
あるいは解説がろくに付属しておらず、解答の数値や記号だけが記載されているものだったりします。
レベル設定に問題があることも重大な欠陥ではありますが、
それ以上に解説の不十分さは受験勉強においては完全に有害でしかありません。
「すぐに答えを見ず、自分で調べるのが大事。自分の頭で考えるのが大事」
あたりが学校側の言い分かもしれませんが、それは大学受験においては完全に間違いです。
進学率や偏差値が下がるだけの考え方ですし、単に教師側が指導の手間を省略したいだけの口実でしかありません。
受験生は学校の課題に煩わされることなく、市販の有用な参考書・問題集を利用し、インターネット上の勉強方法などを参考にして受験対策を進めましょう。

なぜ、学校からの課題は受験という側面からは劣悪なものが多いのでしょうか。
理由は単純です。
課題の内容を考える学校の先生は受験のプロではないからです。
なぜ学校の先生が受験のプロではないのか。
これも理由は単純で
「受験生を叩き上げるための指導方法に関する訓練を受けていないし、
 自分でそれを研究しているわけでもないから」
です。
教員免許を取る過程でもそういった訓練はありませんし、
教員として配属された後も「受験生の実力を上げること」は業務上の建前としては
指示されたとしても、その責任を教師が真剣に負うことはありません。
これは教師の方が不真面目であるとか勤務怠慢とかいうわけではなく、
「学校の先生がそんなものを負える勤務構造ではないし、
 一人一人の進捗管理お尻叩き(しごき)を最後まで完遂することは物理的に不可能」
だからです。
これもまた多少くだけた表現で述べてみますと
「徹底した受験指導の訓練を積んだわけでもない先生が、
 30人~40人の生徒それぞれ(あるいは学年全員)に対して
 普段からマメに進捗管理をしているわけでも個別に話し合う機会が多いわけでもない   

 のに受験についてその生徒を評価し、導く」
ということになります。
「学校からの課題の質」もこの延長線上に存在します。
受験勉強やその指導についてよくわかっていない人が生徒に出す課題は、感覚的に評すると「大ざっぱ」なものが多いです。
「こんくらいの難しめのやつ多めに課しておけば
 とりあえず教師側の責任にはならないんじゃないかなー」
くらいの温度が感じられることが多いです。

 

これまで結構な分量で「受験のプロではない学校の先生」について悪態をついてきましたが、私は学校の先生そのものを否定したいわけではありません。
また、現在の学校の先生の在り方そのままで一向に構わないとも考えています。
これは私個人が抱いている「課題なんか答え丸写しで出してしまえ」
「授業中は全部内職してていい」という主張と矛盾しません。
私は学校側に「もっと変化してほしい」などとは思っておりません。
なぜなら、学校というハコそれ自体が受験用に存在しているわけではないからです。
学校の先生もまた、受験用に存在しているわけではありません。
だからこそ指導要領に「生徒を受験対策面で叩き上げよ。管理せよ」などとは書かれていないのです。
指導要領に込められている概要は「学生を平均水準前後まで導け」であって「各人の能力を最大限まで引き出せ」ではありません。
上述したように、学校という空間においては「学生個人一人一人」にフォーカスすることは時間的にも空間的にも体力的にも不可能です。
受験はそもそも学校の先生が引き受けるべき領分ではないのです。
もちろん、各科目において教授が上手な先生というのは一定数存在します。
しかしごく一部です。例外的に存在するに留まります。

 

まとめに入ります。
受験生にとって一番重要な資源は時間です。
そしてその時間は有限であり、その中でいかに効率よく実力を上げられるか、というのが受験というゲームの概要です。
裏を返すと「受験に役立たないことには一切時間の無駄遣いをしてはいけない」のです。
「受験と関係ないことが多い学校」とは建前だけの付き合いにしてください。
受験と切り離せば、学校はいい空間だとは思います。
受験生の皆さんは、「時間の節約」「時間の確保」を最重要課題だと思って暮らしてください。
そして確保した時間をうまく運用して自分の実力向上につなげてください。
それができた人だけが自分の望む大学に進むことができます。
健闘を祈ります。

 

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「感謝できる≒頭がいい≒大学受験に勝てる」という方程式~頭が悪い人は道徳ができないという話~

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今回は教育に関する記事です。
受験テクニックとは直接の関係はありませんが、
しかし高校受験・大学受験の勝者がほぼ確実に持っている重要な性質に関することですので参考にして頂ければと思います。
「そう言われてみれば思い当たる節があるかも」
と思われる方も多いかと思われます。
 
今回説明するのは「感謝できる精神性がある子は受験に勝ちやすい」という内容です。
あくまで私個人の経験則・個人的解釈に基づく仮説であることをご了承ください。
例外は多々あるかとは思いますが、しかしこの結論でほぼ間違いはないと思っています。
これまでの指導経験上、私が見てきた中では、
「色々な物事に感謝できる感度が高い生徒ほど能力が高く、それゆえに受験にも勝ちやすい」
という仮説が頭に浮かぶことが多かったです。
以下、その内実を詳しく説明していきます。
 
最初に断っておきますが、
「闇雲になんでもかんでもありがたがる子がよい」
という趣旨ではありません。
むしろそういった浅い感謝、「とりあえずこういう態度をしておけばいいんだろ」的な態度が体にしみついている子は能力が低い傾向にあると考えてよいでしょう(あまり見かけたことはありませんが)。
本記事において述べたい「感謝できる精神性」というのは、
 
「現実を正しく認識したうえで、確率が低いものや貴重なもの、価値が高いと感じたものや自分のためになったもの、自分を支えているもの、に幸運(希少性)を感じ謝礼を述べる感性」を指します。
 
もっと圧縮すると
「現実を正確に把握できるがゆえに感謝もできる」
ということです。
 
話は若干横道にそれますが、感謝という思考の原点は
「確率が低いこと」を認識する能力です。
「確率が低いこと(価値が高いもの)が自分に提供された」
と認識する知性があって初めて感謝することが可能になります。
では、「感謝できない」とはどういうことを指すのか。
それは「現実や自分の現状を正確に認識できる知性を持っていない」ということです。
これはそのまま「目の前に提示されている問題の意図や意味を正確に理解できない」ことであり、ひいては「自分自身の現在の力量の脆弱さ」も正しく認識できないことを意味します。
また、確率が低いということを認識できるということは同時に、
「未来において発生する危機に関する感度」も高いということです。
方程式で表現しますと
 
感謝の感性≒確率認識の知性≒危機を予測し準備を実行する知性≒自分の力量を正しく把握できる知性
 
という形になります。
ざっくばらんに表現しますと
 
「感謝できない奴は確率の高い低いも認識できないし、目の前にある危機も見えないよね」
 
ということです。
この場合の「危機」とは何か。
受験勉強に限って言えば、それは「不合格」を指します。
自分の力量の低さも正確に認識できず、それゆえに不合格への危機感も薄く、勉強時間も不十分になります。
さらに言い換えれば「感謝する感度が高い学生は危機(不合格可能性)を知覚する能力も高いがゆえにその不安を解消すべく受験勉強に一層励む」ということです。
勉強しない学生は、危機感が足りないのです。
「ひょっとしたら落ちるかも」
という不安を1%でも薄めたいと思う学生は長期的な勉強を継続できます。
勉強しないほうがよほどストレスが大きいからです。
危機感が足りない学生は「まあなんとなくいけるんじゃないかな」程度に思っているのでしょう。
そう思える背景は「自分の能力や成果の低さ、不十分さを正確に把握できていない」です。
自分を知っている人間ほど、自分の弱さや不十分さに不安を感じ、
それを解消すべく何らかの努力に手を付けるのが一般的な相場かと思われます。
 
「志望校に受かりたいけど勉強しない学生」≒「自分がどれだけおバカさんかすらわかっていないおバカさん」
 
ということになります。
この程度のおバカさんは、意識の持ちようですぐ卒業できますので、早く「自分のおバカレベルも把握していないおバカさん」は卒業したほうがいい人生になるかと思います。
この場合の卒業とは「把握した上で具体的に努力を継続する」ことです。
最初は下手でもいいので、とにかく努力そのものに着手してください。
最悪の状況だけは脱しておくことが大事です。
全てはそこから始まります。
 
確率の低さを認識できる感性が鋭いほどに、同時に抽象的な学問の世界(綿密さ、ち密さ、複雑な論理)を理解できる能力も高いです。
裏を返せば、これは上述した「なんでもかんでも感謝している子は逆に能力が低い」
ことともつながります。
「なんでもかんでも感謝」は「おおざっぱにしか現実を把握・理解できない」ことを意味します。
この「浅いおおざっぱな感謝」か「正確な感謝」かを判断する指標は、
「感謝する理由を事細かに説明できるか、説得力のある論理が含まれているか」です。
現実を認識する能力とはつまり、理由を正確に述べられるかどうかと同義です。
ひとくくりに「感謝しろ」というよりも、
「感謝にも松・竹・梅があって、梅の感謝はレベルが低いから松の感謝をしろ」
という結論になります。
 
抽象的な話が続きましたので具体例を述べます。
ある難関私立大学に合格した塾生のエピソードです。
短く箇条書きに羅列していきます。
彼女が感じていることは以下のようなものでした。
彼女は受験勉強に対するモチベーションが非常に高かったです。
と同時に、理解力や助言・指示を受け入れる素直さも高かったです。
 
・自分の家は裕福というわけでもなく、働いてお金を稼いでくれ、
 自分の教育費にお金を投じてくれている両親の大変さは認識しているので
 自分もそれに応えたいのでなるべく一発で志望校に合格したい
・模試の判定はいい結果が出ているけど、同級生を見渡せばもっとできる生徒は
 たくさんいるし、最後の最後まで完成度を詰めきらないと不安だから
 もっと要領や自分の不足している部分を教えてほしい
・学校の授業や課題と並行して塾からの課題指示をこなすのは大変だけど
 内職するなり学校の宿題はテキトーにこなすなり時間を工夫して作るなりして
 塾の課題は全部こなしたい。
 実力がつく塾の課題だけを合理的に徹底して取り組みたい。
 
この塾生の場合は、感謝のレベルが高いだけでなく、
危機感のレベル、合理性(素直さ)のレベルもかなり高かったです。
だからこそ苦手科目があるにも関わらず、第一志望である難関私大に合格することができました。
やはり、
 
感謝のレベル≒危機感のレベル≒合理性(素直さ)のレベル
 
であり、これがそのまま受験に対するモチベーションの高さにつながります。
モチベーションの高さはさらに「詰め方」のレベルにもつながります。
最後の最後まで自分の力量を上げ続けられること(穴を全て無くすこと)こそ受験において最も重要な能力でもあります。
 
まとめに入ります。
正確に感謝できるほどの精神の細かさを有する学生は、
ほとんどの場合、勉強を継続するモチベーションも高く、理解力も高く、
素直さもあり、結果が出やすいという話でした。
精神性は知性と密に相関します。
残酷な事実ですが、「感謝できる人」と「できない人」との両方が世の中には存在します。
能力が高い人は、感謝する感度も高いです。
現実を正しく見ることができるからです。
自分を構成する要素の大半を客観的に認識できるからです。
その希少性、確率の低さ、価値の高さを理解できるからです。
親が働いた金を自分の食費や学費に投じてくれていることや
その他空気中に酸素があるからこそ当たり前に呼吸できていること
うまい肉を食べる一方で動物の命が失われていることなどを
正しく認識できていれば、自ずと申し訳なさや感謝の気持ちが湧いてくるかと思います。
(例えほんのわずかだとしても。そこまで大げさでなくともいいです)
「そんな気持ちは1ミリも湧いてこない」という方も一定数いらっしゃるかとは思いますが、そういう方はおそらくサイコパスか何かなので私の管轄外です。ごめんなさい。いい人生を送ってください。少なくとも受験はやめておいたほうがいいでしょう。
 
道徳や道義、人の道等の視点からも感謝は大事ですが、
知能指数を図る指標」としても感謝は有用です。
「感謝の感性が大したことないからこいつは頭悪いな」
と思って他人を見てしまって大方間違いないと思います。
うまくいっている人には感謝できる人が多いですが、
うまくいっていない人は感謝できない人が多いと思います。
(全く感謝できない人が金銭的・商売的にうまくいっている事例も多いとは思いますが、そういう方はどこかでこける可能性が高いので、「うまくいっている」とは言い難いかと思います。悪い孤立や下手な独裁の上での成功は遠からず瓦解します。長期的に見ればマイナスです)
 
当塾には能力が高い学生も低い学生も入り乱れていますが、
高い結果を出せる塾生は例外なく感謝の感度が高いです。
一切の例外はありませんでした。
感謝のレベル≒学力のレベルと言っても差し支えないと思います。
繰り返しになりますが「善人の空気を全開にしてありがとうございますを乱打している」ということではありません。
「認識できているか、いないのか」
「行動につながっているか、いないのか」
が重要です。
浅い感謝か正確な感謝かは本人を見れば一発でバレます。
多少反抗期であろうと「親に養われてる身分(言い方は悪いですが)」という最低限の事実は押さえておいたほうがいいです。
10代ですから、反抗期その他諸々の反感を抱いていることは自然な流れです。
反抗はそのまま続けていていいので、7割が反抗だとしたら3割は感謝というか申し訳なさというか養われている身分だという事実を認識しておいてください。
7割は反抗していていいです。残りの3割、現実を正しく認識できてさえいれば。
反抗期10割はあんまり賢くなさそうだし、子供成分100%ぽく見えるので、そういう態度は控えたほうが受験的にも人柄的にも得策でしょう。
 
「自分は感謝の心薄いかも」と思った方は、即物的
 
「上手に感謝できていない自分は頭悪い可能性がかなり高いからもうちょっと現実を正しく認識しよう」
 
と思い直されたほうがいい人生が待っていると思います。
少しずつで大丈夫です。
「自分がどのような要素で構成されているか(経済面、物質面など)」
を一つずつ認識するところから始めましょう。
若者にはピンと来ない面も多々あるとは思いますが、
「自分の実力で得たもの以外は全て他人からのおこぼれ」だと認識するくらいがちょうどいいと思います。
(まあ、「自分の実力や努力」とやらも遺伝や運、環境によるところがかなり大きいので本当は純粋な自分の所有物でもないのですが)
感謝できない人は、頭が悪い人です。
そういう人は、「人の道に外れているから人生がうまくいかない」のではなく
「単に頭が悪いからうまくいかない」のです。
こういったことは小学校の道徳の授業でももっと言及されてもいいかと思います。
感謝できないってことは頭が悪いってことだから皆ちゃんと感謝しようね」
極端な言い方ですが、こういった側面も重要かと思います。
(もちろん道徳授業のベースは「道義的に美しいことと醜いことは何か」
 を教えることだとは思いますので、即物的に語りすぎることには多少の弊害があるか
 とは思います。基本的には「どういう生き方が美しいか」という「美しさ」を価値基
 準として子供に対して語るべきで、「頭がいいの悪いの」という露悪的かつ即物的
 表現をメインに据えるべきではないと私個人も感じています。
 ただ、「ちょっとくらい、たまに」なら含んだほうが効果は高いかなとも
 考えています。スパイスがなければ食材の旨味を感じることもできませんので。
 悪しからず)
 
 
最後になりますが、本記事の要旨を一文で表現すると、
「感謝のレベルが低い奴は確率が低いことの希少性もわからないし
 抽象的な事柄も理解できないし危機感も薄いし素直さもレベル低いし人間関係も
 うまくいかないし謝れないしマナーも悪いしで、自分を責めないで他人ばかり
 責めるしで結果も出せないから信頼も得られないしで受験も勝てなくて
 人生もなんだかうまくいかないよね」
です。
超長文を拝読して頂きありがとうございました。
お疲れ様でした。
 

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「英単語は暗記させない」教育論に関する反論。やっぱり結局暗記ですという話。

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今回は「英語に暗記は不要です」という教育理論の一派に対する反論を述べます。
結論から申しますと、

「なんだかんだ言ってみてもやっぱり暗記じゃないですかそれ」

ということになります。
以下、詳しく述べていきます。

 

最初に言及しておきますが、私はこれから紹介する英語塾については全く批判的ではありません。
むしろ素晴らしい教育理論を実践なさっていると思っています。
ただ、一点だけ異論があるとすれば、
当該塾の理念である「暗記させないで英語の4技能を習得させます」の
「暗記させないで」に誇張があるなあと感じましたので一筆取りたくなった次第です。

 

当該塾は、実際の塾名は控えますが、関西で経営されている塾です。
繰り返しになりますが、私はこちらの英語塾の理論には何ら異論はありません。
素晴らしい実績を出されている塾ですので、その教育テクニックは本物なのだと思われます。
少々興味が湧いたのでHP等を拝見しました。
教育システムのあらましが公開されていたので大ざっぱに要約すると
「1回3時間のチューター付き添いによる徹底訓練によって4技能を叩き込む」
という形式です。
私が率直に抱いた感想としては

 

「なんだ、結局暗記じゃないか」

 

というものです。
徹底的に量をこなして知識を体にしみこませ、
技能を習得するのですから、それは英単語の暗記プロセスと何ら変わりはありません。
違いがあるとすれば、チューター(人間)を介した叩き込みなのか、
参考書(物)を介した叩き込みなのか、という点だけです。

やはり、どんなに画期的な教育手法を謳ってみても、

 

「英語は量が重要であり、暗記は避けては通れない」

 

のが英語学習の本質ではないでしょうか。
そして、そうであるならば、単純に
「人に付き添ってもらって覚えるのか」
「参考書を基に独学で覚えるのか」
が問題になるのであり、
そこに大した違いはないのではないでしょうか。

 

「やることは結局暗記なのだから、独学でいいんじゃないか」
これが私の雑駁な結論です。
もちろん、ハイレベルなチューターやネイティブ講師に指導してもらえれば
発音に対する経験値や自然な表現、その他もろもろの添削を得られるとは思います。
人を介した叩き込みのほうが教育効果はわずかに高いかもしれません。
ですが、英語学習において必須なのは暗記であり、
また最終的に技能を習得するためには他人に誘導されてではなく
自らの意志で勉強の量を積み上げる必要があるわけで、
それはもはや独学以外の何物でもないわけです。
やはり英語は最終的には

 

「暗記が基本で、独学が絶対的に必要」

 

ではないでしょうか。

話が少々説教じみてきましたが、語学学習の基本はやはり「暗記かつ独学」だと思います。
他人が介入する余地があるとすれば「暗記法のフォロー、アドバイス」であり
同時に「独学法のフォロー、アドバイス、良質参考書の紹介」でもあるでしょう。

 

というわけで、なんだか長いお話でしたが、言いたいことは至極当然のことで
「英語の実力を上げたかったら暗記と独学を工夫して頑張りましょう」
という結論になります。
皆さん、潔く暗記と独学にまい進しましょう。

 

当塾では、上述したような「暗記法と独学法のフォロー、アドバイス、管理」を
徹底して叩き込みます。
もちろん個別の訳、文法の解説、その他の要領やショートカットについても全て提供致します。
当塾の公開しているブログを基に独学しても成果は得られます。
独学に適性のある方は是非そうやって無料で学問に励んでください。
学力を上げるために、必ずしも他人に介在してもらう必要はありません。
私自身、16歳以降、ほとんどの学習を独学でこなしていますので。
多少失敗もありますが、やろうと思えばやれるものです。
独学なんてその程度のものです。
独学に必要以上にびびらないでください。
世間一般的には「独学のすすめ」のような論調は未だ少数派ですが、
何かで勝っている人間or成果を出している人間で、独学をしていない人間はほぼいません。
何かを得たければ、独学は避けて通れない道なのです。
避けて通れないのであれば、最初から踏み込んでしまったほうが話が早いです。
最初は下手で全く構わないので、独学への一歩を踏み出してみましょう。

 

もしも独学に不安や苦手意識がある方は、是非一度当塾にお問い合わせ頂ければと思います。
当塾HPに掲載している情報を利用すれば、無料で独学ももちろんできますが、
当塾に入塾されたのであれば月謝を払って頂いただけのショートカットや要領を伝授いたします。

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リスニングの前に長文読解・速読を習得すべき理由~TOEIC・大学受験英語~

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今回はリスニングの前に長文読解(とその延長の速読)を習得するべき理由を説明します。
この場合の「速読」とは、いわゆる「一瞬でページの文章を全て読む」というような
特殊技能的なものではなく、「単に英文を訳す速度が速い」という意味の速読です。
結論から申しますと、長文読解及び速読を習得する前にリスニングを学習するのは非効率です。
以下、詳しく説明していきます。

速読とリスニングを同時に、あるいはリスニングを先に訓練するデメリットとはつまるところ、
「手間が増える」からです。
リスニングで「この単語知らない」とか「この文法知らない」「どう訳すのかわからない」
となった時に、その都度単語帳や文法書を引くのは単純に非効率です。
リスニング学習が滞りますし、その都度一時停止して読解の学習に時間を割くのは、
リスニング学習ではなく、読解の訓練です。
最初から長文読解及び速読の訓練を済ませてからのほうが
リスニングの音の訓練だけに集中できるので効率がいいというだけの話です。

また、速く読めるということは「一目でそのセンテンスを訳せる」ということとほぼ同義です。
さらに、リスニングというのは「一回聞いただけで意味を把握する」こととも同義であります。
「一目でセンテンスを把握すること」と「一回聞いただけで文意を把握すること」もまたまたほぼほぼ同義です。
したがって、「速読できない≒リスニングできない」という方程式になります。
「リスニングが苦手だなあ」という自覚がある人は、リスニング学習をやめて
長文読解を仕上げることに専念してください。
あなたがリスニングが苦手な理由は色々あるとは思いますが、
ほとんどの場合、知識不足です。
「リスニングが苦手」と悩むのは長文読解・速読を仕上げてからにしましょう。
「リスニングだけできるけど速読できないんだよね」という人はほとんどいないかと思います。
その場合の「リスニングはできる」というのは、悪い言い方になりますが低いレベルのリスニングではないかと思われます。
いずれにしろ避けて通れないのは「単語」「文法」などの知識面で、
それを習得するためには速読訓練がうってつけですし、
速読によって反射神経レベルで単語や文法を出力できるとリスニングの上でも
スピード強化につながるわけです。

繰り返しになりますが、「リスニング→速読」や「リスニングと速読同時訓練」は非効率です。
同時に二つの領域を行き来することは相乗効果が見込めそうで、実はそうでもありません。
同時学習による相乗効果よりも、適切な順序で各領域を移動してください。
中級者以上(英検準一級以上)の方であれば同時訓練も問題ないかと思いますが、
初学者~共通テスト英語リーディング8割未満の得点の方には非効率な学習方法になります。
一つずつ適切な順番で各領域を仕上げていきましょう。

また、同時学習というのは学習者自身の負担も大きいのです。
その負担の大きさが原因で、英語学習が次第に面倒になってしまい、
ついには学習そのものをストップしてしまう恐れもあります。
学習の始動コスト、始動ハードルはできるだけ下げましょう。
それが長期的な学習継続の秘訣です。
人間は気合ややる気、死ぬ気、決意、覚悟を動力源にして、
いつまでも走り続けられる生き物ではありません。
それができる人はそれでもいいのですが、
そうでもない人が大半ではないかと思います。
一つ一つ、領域を仕上げることを優先しましょう。
いきなり何もかもを手に入れることはできません。
じっくり学んでいきましょう。
英語学習はスタミナそれ自体、あるいは少ないスタミナをうまく運用する工夫が大事です。

余談ですが、速聴英語リスニングにも私は否定的です。
一時期コマーシャルが盛り上がっていたスピードラーニングという速聴手法で、
「聞き流すだけで英語が喋れるようになる!」というのがキャッチコピーのサービスでした。
結論から言ってこれは全くの嘘です。
速聴音声を聴いていれば、頭の回転速度はそれに釣られて一時的にドーピング効果で向上しますが、
それは英語に限ったことではありませんし、
何よりやはり文法や単語の意味を知らなければそもそも文意を把握できません。
いつの間にかスピードラーニングを販売していた企業が事業終了していることからも
「速聴やリスニング訓練だけでリスニングは鍛えられる」という理論は間違っているという証明になるかと思います。
恐らくこういうサービスというか、業者は定期的にこれからも出現するでしょう。
書籍についても同じです。
「英語は勉強してはいけない」とか過激なコピーやタイトルのものが出版されるでしょうが、
いずれにしろ通らなければならないのは
「単語の知識を叩きこむ」「文法知識を叩きこむ」です。
「知識の叩き込み」を避けて通ることは絶対にできません。
暗記学習は面倒ではありますが、知識の定着率は同時に英語を読む速さとも直結しているのです。
「速い」という領域には「知識」なしで到達することはできません。
知識を完璧にしさえすれば速く正確に読めるようになるのですから
英語学習は単純なゲームとも言えます。
暗記法は以下の記事などを参照して頂ければ幸いです。

・全ての教科に応用できる暗記法:大学受験の英単語の覚え方

・英単語1000個を独学で覚えたら次もまた1000個覚えたほうがいい話

・高校生は英語をいい加減な発音で学べ~大学受験カタカナ英語推奨論~

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高校生は英語をいい加減な発音で学べ~大学受験カタカナ英語推奨論~

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今回は「英語の発音は最初から正しく覚えなくてよいし、なんならカタカナ英語で構わない」について語ります。

結論から言いますと、大学受験の英語学習においては、カタカナで読み仮名をふって、「ださい英語」で勉強してください。

それで全然問題ありません。

 

例:possibility→ポッシビリティ

  interpretation→インタープリテイション

 

大学受験において英単語の発音を正確に話せるかどうかは大した問題ではありません。
発音やアクセントの配点は些少なものですし、何よりもまず正しい発音と意味をセットで覚えるのは結構な労力を伴い、ともすると英語そのものへの学習意欲を大幅に削ぐ可能性が高いからです。
さらに、大学受験の英語学習において最優先すべきは、発音ではなく速読だからです。
ありていに言ってしまえば、
「正しく発音できなくてもいいから単語の意味を多量に覚えて長文を速く読めること」
が英語学習の初期においては最重要です。

 

正しい発音を学ぶのはリスニングの学習を開始してからで十分です。
むしろ、リスニング学習を伴わない段階での正確な発音学習は効果が薄いです。
発音と聴覚訓練は同時にやってこそ相乗効果が見込めるからです。
「じゃあ最初からリスニングと発音と単語と長文速読を全部同時にやればいいのでは?」
と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、効率やモチベーションが全然違ってきます。
耳も口も目も同時に鍛えるのは一見相乗効果が高そうですし、
理論上は、最も実用的に英語能力向上を見込めそうではあります。
しかし、これはあくまで理論上のことであって現実的ではありません。
100歩譲って、英語が得意あるいは興味関心が人並み以上に強い学生の方であれば
全てを同時に進行することは不可能ではないでしょう。
現実的には、全ての領域を同時に進行するのではなく、やはりしかるべき順序で
学習を進めるのが最短距離の実力向上だと言えます。
英語学習の流れについてはここでは概要だけ述べるにとどめ、別途記事で説明します。
一応概略だけ述べておくと、

 

単語→速読→英作文orリスニング

 

というのが一番論理的かつ効率的な学習手順です。


話を発音に戻しますと、「全部同時に学習」と「順序を追って一つずつ学習」の
最大の違いは、「モチベーションが維持できるかどうか」です。
私のこれまでの指導経験から、
大半の方は、それほど英語学習に対して意欲的になれない率が高いかと思われます。
理由は明白で、効率的な勉強方法を知らないからです。
正しい方法論を知らないがゆえに結果が出づらく、結果が出づらいがゆえにモチベーションも湧いてこないのです。
特に英語の場合、他の教科と比べても学習ポイントが多いです。

 

・単語を多数覚えなければならない
・文法も一定以上覚えなければならない
・自分の訳が正しいのかも自分ではよくわからない
・どこから手をつければいいのかがわかりづらい
・どの程度まで実力をつければいいのかもわからない etc...

 

ただでさえモチベーションが湧きづらく、かつ長期的に維持しづらい教科の筆頭が
英語であると言えます。
また、それに拍車をかけるのが英単語の発音です。
「正しい発音で覚えなければ、発声できなければ駄目なのではないか、恥ずかしいのではないか」
といった意識のリミッターが、低いモチベーションをさらに低下させます。
こんなにもったいないことはないです。
発音なんて、最初はかなりいい加減でいいです。
極論ではありますが、カタカナで読みがなを単語の上にふって我流で読む。
それで全然問題はありません。。
英語学習において一番重要なのは「正しさ」ではなく「勉強スタートのハードルを下げる」です。
ある種の「いい加減さ」が長期的な英語学習においては重要になってきます。

 

事実、私はTOEIC770点を取る段階の学習においても、
リスニング対策を始める前まで、カタカナ英語の読みがなや発音で全て学習していました。
当塾の塾生に対しても

 

「正しい発音をしようとしないでまずは日本語カタカナ英語っぽく読んで。
 速く読み進められるのが大事であって音が正しいかどうかは後回しでいいから」

 

と指導しています。
発音はリスニング学習の段階に入って初めて手をつければよいです。
「癖になるから最初から変な発音で覚えないほうがいい」
という意見もあるかもしれませんが、そんなことはありません。
英単語の発音の癖などというものは存在しません。
仮にあったとしても、大した問題にはなりません。
正しい発音が本当に必要になった時に修正すればよいのです。
そういったチャンスには嫌でも遭遇します。
「その発音、変だよ」と言いたがってくれる人は一定数世の中に必ず存在するからです。
恥をかきながら実地で覚えればいいと思います。

わざわざ一人で労力を割いて正確さを追求して学習する必要はないのです。
「発音はそこそこ」で大丈夫です。
少なくとも大学入試やTOEIC700点台までは発音はあまり重要ではありません。
英検準一級以上、TOEIC S&Rなどを学ぶ段階になって初めて発音を気にしてください。
そもそも、タレントのデーブスペクターも怪しげな日本語の発音でも日本で仕事が成立しています。
母国語でない言語の発音なんてそんなものです。
非母国語を話す外人に対して発音なんて誰も求めていないのです。
「そこそこ」「いい加減」でいいです。

本当のことを言えば、リスニングにおいても正しい発音というのはそこまで習得する必要はありません。
耳で聞く音を知識として覚えればいいのであって
自分の口に正しい発音を習得させなければいけないかというとそうでもないのです。
これもまた「そこそこ」で大丈夫です。
「正しさ」にがんじがらめになって学習が前に進まないほうが大問題です。
英語学習はざっくりいい加減にスタートしましょう。
カタカナ英語でかっこ悪く始めても全然かまいません。
泥臭く学んでいきましょう。
格好にとらわれて実力が身につかないほうがよほど恰好悪いです。
英語学習を始める心理的ハードルをもっと下げましょう。


これは英語に限らず、どの教科においても同様です。
どの教科においても、

 

「始動はいい加減に。かっこよく正しくやろうと思わない。カッコ悪く邪道でよい」

 

のです。
かしこまった意識のリミッターは外してください。
かっこいいかカッコ悪いか、正統か邪道かが問題ではなく、
「一番学習を速く多量に進められ、しかも長く続けられる学習スタイルはどれか」
が最も重要な問題です。
勉強方法なんて、カッコ悪いくらいがむしろちょうどいいです。
お疲れ様でした。

 

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ここがヘンだよ興譲館その2~学校という構造が抱える受験課題~

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今回は興譲館に対する違和感や疑問点について複数述べてみたいと思います。
かなり長くなってしまいました。ご了承頂ければ幸いです。
各項目は以下の通りです。
・妙に国公立を推す(私立赤本ライブラリなし)
・妙に現役合格主義
・妙に課題の量が多い
・妙に受験は団体戦
・妙にプロ意識が旺盛
・そもそも「学校」という組織が受験の責任を負うこと自体が妙なもの

 

「妙な点その1 国公立推奨の妙な匂い」
聞く話によれば、興譲館は志望校として私立よりも国公立を推してくる傾きが強いとのことです。
詳しくは興譲館の教員の方にでも聞いてみなければわかりませんが、国公立を推す根拠は一体何なのでしょうか。
学生の家庭側が家計の問題で国公立一択であるというのなら話はわかるのですが、
学校側がそれを推してくる根拠がいまいちはっきりしません。
私立大学よりも国公立大学が上とでも言うのでしょうか。
また、国公立を推すのが高校側の主義であるならば、
進学実績に私立大学の合格実績を載せるのは一体どういうことなのでしょうか。
私立大学を志望する学生のフォローを十分にしているわけでもないのに
その学生が受かった場合には自分の組織の実績にしてしまうのは
モラルとしていかがなものかと思います。
進学実績に私立大学合格も掲載するのであれば、せめて国公立の過去問だけでなく
私立大学の過去問もライブラリーに完備してあるくらいの環境は最低限整えておくのが筋というものではないでしょうか。
(これも聞く話によれば、興譲館には私立大学の過去問はほぼストックされていないとのことです)
ちょっと「たけだけしい」ものを感じます。
これは興譲館に限ったことではなく、各地方に存在する複数の名門校に言えることでもありますが。
ともかく、国公立であろうが私立であろうが、学生自身が学びたいことや目的は各人異なるのですから、それに対応した大学や学部は違って当たり前であるはずです。
駄目な国公立もあれば、目的に合致した学びの多い私立もあるのですから、
「国公立か私立か」という単純二択はあまり意味がないのではないでしょうか。
その意味で、興譲館は学生各人の資質を十分に測りきれておらず、
それゆえに学生のその後の人生に最適な提案やフォローをしているとは言い難いのではないでしょうか。
(そもそも高校にとって国公立合格者が多いと何かいいことがあるのでしょうか?
 100歩譲って、予備校や塾の商売をやっているのならまだわかりますが。
 国公立のほうが看板に箔が付く、というようなことでしょうか?
 その根拠がちょっとよくわかりません)

 

「妙な点その2 妙に現役合格主義」
興譲館では、妙に現役にこだわるところがあります。
その典型的な事例が2022年の共通テストの全国的な平均点の低下(難化)を受け、
興譲館に在籍している学生の志望校を1ランク下げることを推奨し、
さらに悪い場合には2ランクは落とさせることを推奨したという事例です。
確かに2022年の共通テストは難化傾向が著しく、
全科目で平均点が低下し波紋を呼びました。
しかし、これはあくまで相対的な低下であり、
いわば「皆点数が下がってるんだから条件は同じで差がついていない」のです。
(まあ、今回の共通テストで極端に点数が取れなかった、というのなら
 志望校を2ランク下げるのもまだ話はわかるのですが)
このような状況を受けて、興譲館では多数の学生の志望校のランクを下げることを推奨しました。
上述した通り、全体の点数が下がっているのであれば共通テストを利用する大学においては、さして他校の生徒と点数において差は生まれていないはずです。
そのような状況でもなお志望校のランクを下げさせるのは、
興譲館が現役合格主義を標榜しているからでしょう。
興譲館側がこのような主義を明確に掲げたことはありませんが、
これまでの事例や状況からは明白にそういった主義主張が感じられます。
率直に言って、現役合格主義はナンセンスです。
現役で受かろうが浪人で受かろうが合格は合格です。
1年や2年の遅れは人生において何でもありません。
仮にこれが3年か4年の浪人を送る状況に陥ったとしても、その程度なら挽回はいくらでも可能です。
愚かしいのは、現役合格にこだわるあまり、十分な実力を養成する時間も確保せずに
妥協した志望校選択を行い、その結果「これは本意ではない」という気分で
大学生活を送り、その後の就職もまた「これは本意ではない」という気分で実施することではないでしょうか。
目先の利益にこだわって人生を妥協するメリットが果たしてどれだけのものであるか、
それについて私は十分な根拠や理屈をまだ発見したことがありません。
あるとすれば「まあなんとなく出遅れた感がなくていいかなー」くらいのものではないでしょうか。
これもまた率直に言ってしまえば、主体的な人生のおくり方とは言い難いでしょう。
なぜならば、判断基準が「自分が納得するか」ではなく「他人と比べてどうなのか」だからです。
自分で選択し判断しているようで、その実限りなく受動的かつ思慮が足りない態度と言えます。
仮にも進学校の生徒であるという自覚があるのならば、
他人に左右されずに主体的に人生を判断する強いメンタリティを持つべきで、
それを達成して初めてエリート(選良)を自称する資格があると言えます。
話を学校側への言及に戻しますと、現役主義はやはりナンセンスです。
現役で合格した実績しか学校の実績にカウントできないから言っているだけで
学生自身の人生を考慮した上での判断ではない気がします。
(そうでなかったらごめんなさいですが、恐らく間違っていないと思います)
仮に興譲館に在籍していた浪人生の合格実績も、高校の実績に掲載しているのであれば、やはりそれも「たけだけしい」ものであると言わざるを得ません。
いずれにしろ、現役合格にこだわるのはナンセンスです。
ナンセンスどころか視点によってはその後の人生においてマイナスであると言えるでしょう。

 

「妙な点その3 妙に課題の量が多い」
結論から述べると、興譲館の課題の質は悪いです。
そして質が悪い上に量が多いです。
私が知らないだけで、良質のものも一部あるかもしれませんが、
少なくとも英語と数学の課題は、疑問符が湧いてくるような質のものが多いです。
(英語のU会、数学のK数など)
この場合、「課題の質」とは何を指すか。
それは解説の質と量です。
興譲館の課題にはこの「解説の質と量」が決定的に不足しています。
これをさらに延長すると「学生が独学でこなす上で負担が重く、その後の実力定着にもつながりづらい」という結論に至ります。
私は何が何でも興譲館のシステムを批判するという立場の者ではありません。
これもまた聞く話によれば、一部の教師の方の指導力は素晴らしいものがあるとのことです。
数学の一部の教師の方と、日本史の一部の教師の方については
学ぶところが大いにあり、受験競争力の向上についても有効であるようです。
ですが、それ以外の領域における課題というのは、
やはり上述したような理由で「質が悪い」と言わざるを得ません。
「質が悪い」のならまだしも「その上さらに量が多い」というのは看過できない問題です。
学生の拘束時間を増やし、伸びしろに費やすべき時間を減少させるのはいかがなものかと思います。
また「解説の質と量が不十分であるテキストをあえて選んでいる」のであれば、
恐らくその理由は「自分の頭で考えるのが大事で、思考力を鍛える訓練として必要だから」ということになるかと思います。
しかし、思考力を鍛えていたはずが、2022年の共通テストの惨憺たる結果を受けて
志望校を2ランク下げさせる事態に陥ったのはなぜでしょうか。
自分の頭を使わせて思考力を鍛えていたはずなのに、想定外のことに対応できなかったのはなぜでしょうか。
答えは明白で「実力や思考力がついていると思ったら実はついていなかった」からです。
そしてその根源は「質の悪い多量の課題」であると私は考えます。
どうせ拘束するなら質のよいコンテンツで縛るべきではないでしょうか。
くどくなりますが「良質」とは「解説の質と量が十分であり学生が独学可能である状態」です。
まあ、恐らく「生徒が独学でも学べる状態」を作ろうとしないのは
「だって独学可能にしちゃったら先生の仕事なくなっちゃうじゃん」
あたりのことだろうなとは思います。
別に教員が忙しくある必要はないと思いますが。
むしろ教員が有能であるほどに教員が生徒に干渉する時間は減るのではないでしょうか。
なおかつ高い成果を生み出せるというのが理想の状態でしょう。
(この辺りの理屈がピンと来ない教員の方は別にそれでも大丈夫です)

 

「妙な点その4 妙に受験は団体戦
これもまた小耳に挟んだのですが、
興譲館は共通テスト本番を目前にして何やら決起集会を実施しているようで、
その中で叫ばれるのが「受験は団体戦」というスローガン?です。
率直に言って、受験は団体戦ではありません。
受験を団体戦と解釈するのはある種の甘え、あるいは依存であると考えます。
団体戦、という考え方は裏を返すと「うまくいけば皆のおかげ、失敗すれば誰かのせい」ということでもあります。
事実は異なります。
「うまくいっても、失敗しても、究極的には学生本人の責任」です。
もちろん、学校や予備校、塾がサポートする部分はありますし、
その意味で結果責任の一端はそういった生徒以外の外部にもあるとは言えます。
私自身「塾生が受かっても落ちてもどうせ俺の責任じゃねえや」などと
思ったことは一度もありません。
だからこそ「多少の余裕を持って合格できるような高い実力をつけさせる」ことに
日々腐心しています。
塾生が得た結果の責任の半分は実際には私にあると考えています。
しかし、やはり結果を引き受けるのは生徒自身以外にいないのです。
全ての事柄を受け止めるのは学生自身の体に他なりません。
学生を触発したい気持ちはわかりますが、
あまりにも事実とかけ離れたアジテーションは聴衆への求心力を低下させるのではないでしょうか。
団体戦?そんなことなくねえか」
そう思っている学生も多数いることでしょう。
安心してください。受験は個人戦です。

 

「妙な点その5 妙にプロ意識が旺盛」
結論から申しますと、高校は受験のプロではなく、したがって興譲館も受験のプロではありません。
しかし、プロではないのに受験に関して学校側が使命感を感じすぎており、
その延長線上で学生の拘束時間を増やすきらいが興譲館にはあります。
気負い過ぎです。
受験というのは、構造的に考えて学校という教育機関が背負いきれるものではありません。
本来、学校側が背負うべき負担ではない、と言えます。
「でも実際に高い進学実績が複数出ているから興譲館の手法は正しいのでは?」
という意見もあるかもしれませんが、難関大に合格している学生は基本的に
何らかの有料教育サービスを利用しているか、身近に学校以外の詳しい誰かが
いるケースがほとんどです。
学校のシステムだけを頼りにしている学生はごく一部で、極めて稀でしょう。
これもまた聞く話によれば「学年の上位50人前後は某T進ハイスクールなどの教育サービスを利用している」とのことです。
繰り返しになりますが、私は興譲館の何もかもを否定する立場の者ではありません。
素晴らしい教育機関としての側面も十分に認識しています。
ただ、「受験においてはそうとは限らない」ということが言いたいのです。
SSRなどの実学的な学びの機会が多いことはいいことだと思います。
興譲館に在籍していればこそ享受できるメリットと言えます。
学習に対する意欲関心を高める効果は大きいでしょう。
ですが、「意欲・関心・考察力を高めること」と「受験競争力を向上させること」は
全くイコールではありません。
端的に言ってしまえば
興譲館教育機関としては優秀ではあるが受験競争力養成機関としては若干微妙」
ということになります。
「関心を高めたり環境を提供することには優れているが、
 学生が抱いた目標に到達するための肝心の受験競争力は大して上がらない」
というのが興譲館の実態であると思います。
そしてこれは、興譲館に限った問題ではありません。
学校というものがそもそも受験を背負う機関ではないのです。

「受験のプロとして採用されたわけでもない教員が、成果を上げれば昇給するわけでもなく、大多数の学生一人一人を管理して一人一人に適した実力向上カリキュラムを組む」

この文言を見ただけでもこれがいかに非現実的かおわかりになるかと思います。
学校側の能力がどうと言うよりも、そもそも物理的に不可能なのです。
学校という構造物は、受験を背負いきれる強度をそもそも有していないのです。
鉄骨の素材も数もそもそも受験用に選定されたものではないからです。
このことは先生方も薄々わかっているとは思います。
受験は学校が背負うものではないのですから、
不要な呪縛や使命感から解放されたほうが生徒も教員も楽になれると思います。
「学校は受験に関するプロである」という若干間違った意識から解放され、
ひいては学生への干渉時間、拘束時間を減らせればそれが理想的だと思います。
よりよいワークライフバランスを目指しましょう。

 

非常に長い文面になりましたが、総括に入ります。
学校は受験のプロではないのに、プロたろうとするからねじれたことが起きるのです。
どこの名門校であろうと、受験の合格実績においては
その学校の教育システムが優れているからではなく、
単に優れた学生が独自の努力(教育サービスの利用や独学)を通じて
優れた結果を出しているに過ぎないのです。
受験は学校の領分ではありません。

そしてこれは、興譲館に限ったことではありません。
麻布であろうが開成であろうが灘であろうが、高校のシステムそれ自体だけで
多数の難関大合格者を輩出しているわけでは決してありません。
最後に、各高校が公開する「進学実績」という評価軸もそもそも妙なものであると思われます。
合格実績は優れた生徒が結果的に置いていったものであって、
学校のシステムがそれを獲得するに至る実力を主体的に授けたわけではありません。
いわば生徒が置いていっただけのものであって「進学実績」ではなく「置き土産」
とでも改称したほうが実態に即しているかもしれません。

 

学生の皆さんは、塾や予備校になんか入らなくてもいいですから、せめて学校だけを頼りに受験勉強を進めることだけは避けてください。

近頃ではインターネット上に、受験に関する有用な情報はいくらでも転がっていますので、そちらを参考にしてください。

学校をあてにして受験戦略を進めると、皆さんの伸びしろが縮まります。

健闘を祈ります。

お疲れ様でした。

 

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