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感情的な人は勉強に向いていないので論理的な人に育てたほうがいいという話

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今回は、論理的(感情的でない)な子供に育てることの重要性について記します。
結論から申しますと、感情的な性質のまま子供が生育すると、
長期的な観点から言えば、人生で大幅に損をすることになると言えます。
以下、詳しく述べていきます。

論理的に、順序立てて、理由と目的を何事においても明確に考える習慣がついていない人は、結果的に感情で物事を判断する確率が高まります。
これもまた結論から言えば、主に感情で物事を判断する人は、
誤解や誤読、自分勝手な言動が増えます。

 

感情だけで物事を解釈する性質のまま育ていると、
冷静に分析すればなんてことないことも
感情面でのインパクトのみで捉えてしまって鬱々と過ごす性質になる傾向が強まります。
子供から大人まで、そういった人間を何人か見てきました。
そしてその多くが無気力的で、他責思考で、情緒的にのみ反応して
他人からの指摘や叱責に対してとりつく島もないといった特徴があります。
指摘や叱責を受けた際には、理屈としてそれを受け止めるのではなく、
「こんな嫌な気分になることを言われた」
という負の感情の記憶だけが残るようです。

これらの本質は、つづめて表現すれば

 

「論理に乏しい。理性に乏しい。客観性に乏しい」

 

です。
これらの人々は、決して頭が悪い人々ではありませんでした。
むしろ平均よりも少し上くらいの知性の持ち主です。
ですが、情緒的な側面に偏り過ぎているせいで、大した成果もあげられず、
自分の人生の満足度も低い状態を継続しています。

 

話はやや変わりますが、
論理的側面が強く育った子供は、努力の面においても継続率が高いです。
当塾で指導してきた過去の塾生を見ても、
「図抜けた努力を長期間継続できる学生」
は、例外なく論理的でした。
つまり、理由と目的への意識が高いのです。
一方で、情緒的な側面が強く、どこか子供っぽい雰囲気が強く、
他責思考が強い学生は、長期的な努力の継続において上記の学生よりも劣る確率が高く、教科やテストの完成度も低くなりがちです。

 

具体的な例を挙げると、当塾で実施している英単語のテストがあるのですが、
前者の、論理的な学生は95%~100%の正答率になるまで仕上げてきます。
しかし、後者の、情緒的な学生は80%を少し越える程度までしか常に完成度を仕上げられない傾向にあります。
事前に「このテストは95%以上得点しないと駄目だよ」と言っているにも関わらずです。
80%まで覚えられるのなら、95%覚えるのも100%覚えるのも大した労力の差はないように感じるのですが。
私の印象としては

 

「論理的に考える力、理屈で物事を捉える力が弱いと努力も徹底しきれないんだなあ」

 

です。
勉強においても、感情的な側面が強い人は大幅な不利を背負う羽目になるかと思います。
これは当然の話です。
なぜなら、勉強というのは「いかに自分が間違っていて、自分の知識が不足しているか」を常につきつけられる作業だからです。
論理的な側面が強い人間しか、この作業に耐えることはできません。

 

以下、論理的な力が強い場合の特徴と、そうでない場合の特徴の概要を記します。

 

・「論理的な力が強い」→自分を責めることができます。
  何か問題が生じた際に、自分に改善点があるのでは客観的に考えられるからです。
  自分を責められる人は努力できます。
  そして、理由や目的への意識が高いため、努力を継続できる確率も高いです。

 

・「論理的な力が弱い」→他人ばかり責めます。主観的に物事を見がちだからです。
  「自分に改善する余地があるかも」
   という思考がないゆえに、何事も大して向上しません。
   必然的に愚痴も多くなります。


では、論理的な力が強い学生にあって、弱い学生にない要素とは何か。
それについて記します。
論理的な力が強い学生の家庭には、以下の要素があります。

 

・厳しい家庭内のルール。有無を言わさずならぬものはならぬ的な空気。ある種の理不尽。父性。

 

・会話の在り方が女性的すぎるとダメ。男が会話に混ざっていないと論理的タフさが得られない。
(差別的に聞こえるかもしれませんが、性別による会話の性質の違いは無視できない要

   素です。もちろん個人差はありますが、おおむね男性の会話は論理的かつ議論的、女

   性の会話は情緒的かつ共感的です。)

 

これらを要約すると、
おおむね「男性的な空気が濃い家庭」と表現できるかと思います。
しかも、単に男性の数が多い家庭というのではなく、
それが「父性(厳格さ、ルール的、論理的)」の領域まで達している必要があります。
ただ単に男という性別が家庭内にいる、というだけでは教育的効果は大してありません。
「理」を語る性別としての男の影響力や支配力が強い状態でなければ、論理的な思考習慣や長期的な努力に耐えられるタフネスは獲得できません。


当塾では、多少なりとも父性的な言動を塾生とのやり取りの中に取り入れています。
システムとして構築されているというほどではありませんが、
塾長である私との対話の中で厳しめの言葉を与えることもしばしばです。

 

「そんな甘ったれた態度じゃダメだよ」
「そこは残念ながら独学する根性でやりきるしかない領域だから気合入れて頑張って」
「これくらいの情報処理ができないと大学に入って学ぶ価値や資格はないんだよ」
「時間の使い方をもっと切り詰めようか」
「不正解でもあてずっぽうでも、とにかく自分の言葉で自分の責任で発話しないと駄

   目。他人にリードしてもらおうって考えは弱い人が考えることだよ」
「人の話を聞く時に指をいじいじしたり床を見つめてるのは小学生と同じだからすぐや

   めな」

 

私個人の予想に過ぎませんが、多少厳しめの家(父性がある家)ならこの程度のやり取りは日常茶飯事だと思います。
(一応補足しておきますが、当塾は単に厳しさで接するだけではなく、
 具体的なテクニックや勉強法、参考書の選定等を通じたシステマチックな指導を

   実施しています。昭和親父的な空気だけで勉強が得意になるなら苦労はありません)

 

論理的な力と、父性的な厳格さは相関します。
相関どころか、相互に乗り入れあうような関係にあります。
論理的な力が強く、論理的な思考習慣があれば父性的な厳しさに耐えられますし、かわすこともできます。
また、父性的な事象への耐性が強ければ、
論理や理屈などというめんどくさいことへの耐性も一定以上備わる確率が高まります。

したがって、子供を勉強やその他の努力に強い性質を持たせたいのなら、
「理屈っぽい家庭(論理的な家庭)」

「父性豊かな家庭(厳格なルールと処罰が明確な家庭、親父が支配的な家庭)」
のいずれかを目指すのが具体的な手段かと思います。
(もちろん、これは私個人の私見に過ぎませんので、例外は多々あるかと思います)


ここからは補足になります。
興味深いことに、母親が教育的にいくら厳しく接しても、
どこか子供にそれは届ききらない部分があるようです。
私自身の学生時代を振り返ってみても、
母親からは「勉強しろ」とはうるさく言われていましたが、
ほとんど無視していました。
特に男の子にとっては、母親の言いつけというのは
「守らなければ何らかの罰があるけど、だからそれがどうした」
程度のものでしかないように思います。
母親主体で勉強に関する物言いが多すぎる場合、
「はいはい、やればいいんでしょやれば」的な態度になることも多く
(体感的に5割くらいの確率で子供はこうなる気がします)、
学生自身に主体的な危機感や自発性、論理性、好奇心が備わりづらいように感じます。

 

これもまた私見に過ぎませんし、偏見も多分に含まれている意見かとは思いますが、
恐らく女親がいくら子供を締め上げて管理・拘束してもさほど成果が上がりづらいのは
「恐ろしさ」「取返しのつかなさ」が与えられないからではないか、と考えます。
それ以外にも要因はあるかとは思いますが、おおむねそのような理由だと個人的には推測しています。

 

母親と比較して、父親というのはどこか子供に対して
「容赦のなさ」を与えられる余地が高いのではないかと思います。
それゆえに、厳しさを母親以上に発揮できますし、なんなら子供を家から追い出すことも可能なわけです。
自分のお腹を痛めて産んだ子供に、父親並みの厳しさで迫れる母親はそう多くはないと考えます。
厳しめの空気やルールを設けても、それはどこか徹底しきれない部分があるのではないでしょうか。
この場合の徹底とは

 

「この家の秩序を乱した場合はお前への処罰を容赦しない。手加減しない」

 

ということです。
これは、出産に関わりようがない父親、ありていに言ってしまえば
「子供は自分の体とは別の個体である、いわば他人」という感覚が強い男性にしか
請け負うことができない役割ではないでしょうか。

 

論理的な力を養いたいのであれば、母親というよりはむしろ父親の果たす役目のほうが
大きな威力を発揮するのではないかと考えます。

 

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