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勉強に主体的になれない子供に必要な「二つの具体性」~学ぶか働くかはっきりしろ~

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確たる根拠も科学的なエヴィデンスもありませんが、教育においてある程度妥当な真理だと思われることを記します。
なお、危なめの発言が多いので全く参考にならない部分も多いかと思います。
了承された上でご一読頂ければ幸いです。

今回のテーマは2つあります。
「進路・進学などの抽象的なことよりもまず学力を上げる情報を集めて模試の結果を出せ」
「学ぶ気がないのなら高校を出てすぐ働け」
です。
なお、今回の記事内容で対象とするのは高校生以上の学生です。
主体性の乏しい子供がいる家庭に「欠けている2つの具体性」に触れていきたいと思います。

 

まず、一つ目の具体性について語ります。
それは「夢とか希望とか志望の前に学力を現実的に上げろ」です。
子供に対して勉強の動機付けがあまりうまくいっていないご家庭の特徴として、

 

「知的腕力のつけ方などの生々しい具体策を考えないで、進路のことばかり考えているなあ」

 

という印象があります。
「数年後の進路・就職」や「何を学びたいか」のような恰好のつき過ぎたことを
考えるよりも、現実的には受験腕力を鍛えないと仕方がありません。
「まず志望校に受かるための実力を鍛えないことには全ての話が無意味」
だからです。
これが「一つ目の具体性(学力を具体的に鍛えろ」です。
話はあくまで具体的に進める必要があります。
「具体的に」とは「模試の結果をいかに上げるか」です。
それを抜きにしていくら夢や志望を語ったり、説得してみても
実際に必要な力が備わっていないのでは何の意味もありません。
やることはただ一つ、ネット上で受験勉強の要領や情報について収集して、
模試の結果を上げる訓練を正しく積むことに注力してください。
情報はそこら中にごろごろ転がっています。
「見つかりませんでした」
「知りませんでした」
は最早言い訳にならない時代です。

 

「力を伴っていない夢」はただの画に描いた餅です。

 

「子供に意識を高く持たせようと思って」
「子供に主体性ややる気を持ってほしくて」

 

こういった気持ちはよくわかりますが、
繰り返しになりますが、それよりも重視すべきは実際の学力です。
願望を達成するための手段である学力を第一に重視しなければなりません。

 


そしてもう一つ見落とされがちな具体性があります。
こちらのほうが学力云々よりも重要な内容になります。
それは「生々しい煽りを含んだ選択肢」です。
具体的には

「勉強する気がないのなら高校を出たら家を出て働け」

のようなフレーズです。
以下、これについて触れていきます。

進路や進学、将来のことを一生懸命考えてはいるんだけど、
子供にうまく親の気持ちや思惑が伝わっていないご家庭では
ほとんどの場合、こういったフレーズが吐かれないケースが多いようです。
(平成・令和などの平和な時代の家庭であればどこでもそうなのかもしれませんが)
端的に表現すると

 

「地頭はそこそこいいのに勉強に対して主体性がない子供」

 

は、危機感がないのです。
では、その危機感のなさはどこから来るのか。
家庭です。


「どうせ帰る家がある。食わせてもらえる」


と思っている子供に、主体性や自律性が宿るはずがありません。

 

「お前、学ぶか家を出て働くかはっきりしろ。主体的に学ぶのならその間は家に置いておいてやる」

 

これくらいの煽り、脅迫がなければ、
元々主体性の低い子供に自発的な行動を期待するのはほぼ無理でしょう。
そしてこうも言い換えられます。

 

「本当に育て、鍛えようと思うのなら、子供を想う一方で
 ある条件下においては子供を家から追放し、捨てる覚悟も持たなければいけない」

 

こういったことは常識やコンプライアンス、優し気な時代の空気とは逆行するものだとは思いますが、
しかし一面の真理であると私は考えています。
ある種、危ない考えでもあるので、
「何言っとんじゃこいつ。昭和か。話にならんわ」
と思われる方も多いかと思いますが、そういった方は読者ではないという前提で
変わらずに筆を進めたいと思います。
読者でない方はお疲れ様でした。
私は昭和です。

 


話を戻して要約してみますと、

 

「将来のために頑張れ、今のうちに頑張れ、と尻を叩くけど
 子供にほぼ全く主体性が宿らない家庭においては、
 一応厳しめの教育の空気が家の中に流れているが、最後の最後、決定的なところで
 『学ばないのなら家を出ていけ』という追放の選択肢を匂わせる空気が、ほぼない。
 表面的には厳しいが、本当の意味での厳しさを選びきれていない」

 

ということになります。
こういった家庭の思考の本質を表現しますと、以下のようになります。

 

「うまいこと説得や叱責を通じて進学のことに一生懸命考えてくれるようだといいなー。学歴の低い方向に走らないで欲しいから、そういう選択肢自体考えないで欲しいなー」

 

です。
少し悪い言い方をしていますが、おおむねこのようなものだと思います。
しかし、そんな親の思惑通りに綺麗に子供が動いてくれる確率は高くありません。
ここで重要なのは、親が「ポジティブな話だけを用いてポジティブな結果だけを期待している」点です。

 

「学ばないのならお前は進学なんかしないで家を出て働け」

 

こういったフレーズを吐けないのは、

 

「もし本当にそうなったらどうしよう。そうなったら困る」

 

と思っているからです。当たり前のことですが。
「働け」系の煽りがどの程度功を奏して、危機感に火がついて主体性が宿るかは
子供や状況にもよりますが、しかし「将来困るよ」「お前のためだよ」的なフレーズよりは遥かに現実的で、遥かに生々しく、遥かに子供の危機感を触発する言葉だと思います。
私は責任を取り切れない部分がありますが、
実際に「学ぶのは嫌だから働こう」と実際に高卒で働くことになったのなら、
それはそれでいいのではないでしょうか。
「学ぶのがどうしても嫌で嫌でしょうがない」という子供に、
無理に親の願望を押し付けたところで、中学や高校までは子供がそれを我慢できても、
大学レベルまでそれが通用するとは思えません。
適性を無視した願望の押し付けは、例えそれが正論だったとしても、どこかで破綻するものだと思います。
(とは言っても、全ての押し付けを否定するつもりはありません。
 教育とは詰まるところ全て押し付けだからです)

 

話が脱線しましたが、ともかく、重要なのは

 

「親の思惑通りの綺麗な選択肢だけを提示しても効果は薄いので、
 ある種親にとってもリスキーな『働け』系の、対となる危険な選択肢も混ぜないと、
 意味がない」

 

ということです。
繰り返しになりますが、「主体性がない」ということは、
「どうせ自分は大丈夫。帰る家がある」という潜在意識があるからです。
「自分が動かなくても他人が動いて自分を支えてくれる、供給してくれる」
と思っているからこそ自発的に動かないのです。
そこを「働け。食い扶持は自分で稼げ。供給しない」という可能性を提示することによって「自分のメシや金は自分で調達しなければならない」
と、初めて主体性が宿るわけです。
危なっかしい話にはなりますが、やはり子供をある方向に強く厳しく育てるためには、
子供を大事に思いながらもどこかで

 

「甘ったれたことを言っていたら、いざとなれば捨てる」

 

これくらいのリスクは親も背負う必要があるということです。
ある種、

 

「捨てる選択肢を考えないで、うまいこといい感じの子供、親に都合のいい子供に育てる」

 

のは虫がよすぎると言えます。
そういった「こういう条件下ではお前をこの家から放逐するぞ」といったフレーズを
子供に対して、態度なり言葉なりで提示できるか否かで親の度量が分かれる気がします。
甘く、自分の手元に置いておきながらうまいこと育てたいという気持ちも
わからないではないですが、おそらくその甘さに伴ったレベルまでしか
子供の主体性や伸びしろは具現化されないかと思います。
非常に嫌な言い方ですが。

 

また、自分が子供の頃を振り返ってみればわかることが多くあります。
読者の方々は、親の思惑通りにキレイに育った記憶があるでしょうか。
昔の自分が、親に「将来のために勉強しておけ」と言われて
素直にそれを全て実行したのでしょうか。
(一部そういう方もいらっしゃるかとは思いますが、今回は例外とさせて頂きます)
おそらく、実行しなかった、親の言うことなど聞かなかった人のほうが
多いかと思われます。
このことからも、子供に対して「将来困るよ」「お前のためだよ」なんて抽象的なことだけを言ってもおそらくほぼ無効であることがお分かり頂けるかと思います。
もし仮にそのフレーズが有効なものであるならば、古今東西の全ての子供たちが
今頃立派過ぎるほど立派に育っているのではないでしょうか。
社会の人員の大半がそれほど立派には頑張れていないところから察するに、
そのフレーズは教育においてほぼ死語なのではないでしょうか。
綺麗なフレーズを用いて、主体性のない子供に「やる気」を期待しても望み薄です。
それよりは「危機感」を煽ったほうがよほど現実的です。
(本記事における方法論は、高校生以上の子供に対してのものです。
 中学生に対して実行すると、場合によっては行き過ぎたスパルタになりますし、
 そのくらいの年齢だと働くということが体感的に理解できない可能性があるので
 効果は薄いように思われます)

 

「将来のために頑張れ」や「自分のために努力しなさい」などの
ポジティブな方向のモチベーションの煽りは、今現在既に自発性の高い子にしか響きませんし、そういう子はわざわざこちらから話を持って行かなくても、既になんとなく理解しています。
このことから考えてみても、やはりいい意味でも悪い意味でも
「将来のためだよ」は死んでいる言葉であると言えます。
主体性のある子どもは既にそれを知っているのでわざわざ言う必要もなく、
主体性のない子どもには何のことやらピンと来ないからです。
「将来のため」は、言いたくなる気持ちはわかりますが、
何も言っていないのと同じ結果になりますので、子供に対して多用するのは
避けられたほうがいいかと思います。


本記事で言いたいことは
「ポジティブなトークも大事だけど、それ以上に谷底に叩き落とすトークも混ぜたほうがいい」
です。
家から放逐するような部分もリアルに含めて語らないと
「どうせ帰る家がある」くらいに思って危機感が触発されません。
極論に聞こえるとは思いますが、
主体性の薄い子どもに対してやる気を期待しても望み薄で、
そういった子供を動かすには「やる気」などという綺麗なフレーズではなく
「危機感」という生々しい言葉遣いだけであると考えます。

 

「働くのが嫌いなら勉強しろ」
「働くか学ぶかどっちかにしろ」

 

子供のことを思ってか、
ネガティブなルートを切り出せないご家庭が多い印象です。
私個人の経験談を引用すると、私は親から「学ぶか働くかはっきりしろ」と明確に言われていました。
私の親は、学歴があるわけでもなく、教育に対して知見は特になく、しかも母子家庭で、どちらかと言うと世の中の平均水準よりも低いレベルの教育環境だったと思いますが、この「家を出て働け」に関しては唯一正しかったと思います。

 

「お前に帰る家なんかないんだよ」
あるいは
「この家はすぐにでも滅びる可能性があるんだよ」

 

こういった言葉が子供に届いている状況下において、子供の体内に最も高いレベルの主体性が宿ります。
危ない話に聞こえるかもしれませんが、これは古今東西に通用する方法論だと思います。
これは子供に限らない理屈だからです。
「死ぬ(困る)可能性が高いから、それを避けるために脳を総動員する」
これは大人にも当てはまる心理だと思います。
それを子供にも適用するだけのことです。

 

改めて表現しますと、主体性に乏しい子供の論理構造はおおむね、

 

「なぜ自分で将来のことを考えないか、今頑張らないのか。
 それは考えなくても困らないから、頑張らなくても困らないから。
 考えなくても頑張らなくても困らないのはなぜか、何の問題もなく

 食べられているから、そういう故郷や家があるから、

 それらがすぐには無くならないと考えているから」

 

というものです。

 

「子供に対してそこまで言うのはちょっとやり過ぎじゃないか」

 

と思われることもあるかもしれませんが、高校生以上の子供は年齢的にも肉体的にもほぼ大人ですので、生々しい話しか家庭内で議論する価値はありません。
子供扱いする理由がもうないのです。

 

生々しく体で感じる危機感、それが自律性・主体性の正体です。
主体性とは主に危機感から発生します。
やる気があるというのは知的好奇心や馬力のことも指しますが、
そういったポジティブな動機は、一部の限られた人間がたまたま持っているだけのことであって、世の中で言う「やる気スイッチ」なんていう便利なものが全員に搭載されているわけではありません。
確実に全員に搭載されているのは「危機感スイッチ」だけです。

 

ある種、やる気や主体性を期待するということは
子供に「大人になれ」と言っているのと同じことです。
うまいこと勉強に関してのみ大人と同じ価値観になってほしい
というのは、ちょっと非現実的です。
主体性を持たせたいのなら、子供を大人にするしかありません。
それには、大人とある程度同じ扱いをするしかありません。

「学ぶか働くかはっきりしろ」

これが子供を大人扱いする第一歩です。
キーワードは、「大人」です。
逆説的ですが、進学や勉強のことだけをトークしていると、自主性の低い子供に対しては何の意味もなく、むしろ非進学的、非勉強的になると思います。
進学や勉強のことを真剣に自分のことと思わせたかったら、
親がこうだったらいいなという願望だけで話すのではなく、
生々しい現実を話すべきだと思います。

 

まとめです。
子供の進路進学に関する二つの具体性について語ってみました。
主体性の乏しい子は、ざっくり表現すれば「甘ったれ」です。
躾が厳しい家の子でも往々にしてありえることですが、
しかし最後の最後「家から追い出す、働かす」という選択肢は、
厳しめのご家庭でも意外と取れなかったりします。
「どうせ食べさせてもらえる」
こういった安心感がある限り主体的に「どうしたらいいんだろな」と考えることはないと思います。
ちょっと危なめの内容でしたが、おそらく本当のことです。
長文お疲れ様でした。

 

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