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子供に自発的な読書習慣をつけさせるための2要素「慣習化」「議論」~当たり前と恥の感覚~

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今回は、教育における読書論について語ります。
「子供に自発的に本を読ませるにはどうしたらいいか」がテーマです。
当たり前のことしか言及していないかもしれませんが、
意外とその当たり前を実行するのが大変だったりしますので、
ご一読頂ければ幸いです。

 

結論から言いますと
「理屈で子供を説得し、納得させるのは不可能」
です。
読書習慣はこれの最たるものだと思います。
これは読書に限らず、普段の勉強、受験勉強、その他の将来に備えた訓練においても同様です。
「将来のためだからやりなさい」
と説明してそのまま軌道に乗り続ける子供が果たしてどれだけいるでしょうか。


「読書という行為の何が重要で、何が面白いのかさっぱりわからないから
 習慣にならない」


これが大半の子供の実態ではないかと思います。
読書に代表される、ある程度の知的好奇心や知的忍耐力を要する
「あまり派手さのない地味なコンテンツ」
と形容できる文化的な匂いを伴う習慣は、
子供にはなおさらハードルが高いです。
よほど先天的に知的好奇心が強いか、そもそもの知的能力や自発性が高い子供なら
何の問題もなく読書が習慣として染みつくとは思いますが、大半の子供にとっては


「地味でつまらない」


のが読書への印象でしょう。
ではどうするか。

理屈で説き伏せても難しい行為を子供に実行させるにはどうしたらよいか。
当たり前のことですが、親が先導するしかありません。
親が習慣として持っていない行為を、子供に習慣として体得させることはかなり確率が低いです。

 

ここで、私なりの教育理論について一旦触れます。
私は、教育というのは突き詰めると「慣習」「議論」「訓練」の3要素に行き着くと考えています。
慣習、つまり家庭内で「いつも当たり前に行われていること、空気」が最も強力な要素だと考えています。

理屈で伝わらない部分は、慣習で伝えるしかないと考えます。
この観点から言えば「いつも当たり前に読書が行われていない家庭」では
子供が本を読まない、興味を持たないのは至極当然のことではないでしょうか。
具体的には、少なくとも親が1ヶ月に3冊以上は本を読んでいないと
「当たり前」の空気ができづらいのではないでしょうか。
もちろん、家庭ごとに固有の忙しさはあるかと思いますので、
それとの折り合いをつけながらの読書はなかなかに大変かとは思いますので、
無理のない範囲で実施するのが一番だと思います。
私の見知った範囲では、元々読書が好きな保護者の方が、
台所で料理を作る際の待ち時間を使って読書をこなすという例がありました。
家事や仕事の忙しさの中で読書をやろうと思えば、
そういった隙間時間を利用するしかないのかもしれません。
また、そういった「ちょっとした待ち時間や隙間時間にいつも親がやる行為」
のほうが、意外と子供の視界に入るもののようです。


嫌な言い方になりますが、
「親が慣習として持っていないことを子供が持つのはほぼ不可能」
(例外はあるかとは思いますが)
と考えたほうが、教育上の
「なんでうまくいかないんだろう」
というストレスは減るかと思います。

「親がやらないから子供もやらない」

というシンプルな論理構造です。
これは読書に限らず、勉強やその他の修行・訓練についても同じことです。
「親がいつもやっていること」
しか子供は模倣しません。
(これもまた例外はあるのですが、基本的には子供は親と同じ習性しか持ちえません)

 

では、
「うちは親が読書習慣を持っていて、知的好奇心も旺盛なのに、
 子供がそうならないのはどうしてなんだ」
という声もあるかと思います。
それについてキーワードになるのは「議論の有無」かと思います。
「最近こんな本を読んでこう思った、気づいた、それについてお前はどう思う?」
こういった親子間の会話、固い言い方をすれば「議論」もセットで
慣習になっていると、子供自身の読書への意識があまり高くなくとも、
「なんか読まざるを得ないのかな」的な空気が多少は発生してきます。
ある種「親へのお愛想」として本についてのあれこれを、
「読んだふり」だとしても語る機会が増えるかと思います。
そういった擬態というか、フリでもいいのです。
最初はその程度のことだと思います。
そして自発的な読書習慣にはすぐにつながらないことも多いかと思います。
しかし、やはり「一度通っておく」ということが重要です。
「そう言えば今振り返ってみれば昔そういう空気が家の中にあったな」
と数年後かそれ以上経った後に、ふと思い立つ瞬間が訪れることもあります。
その時に「昔一度そういう空気を通っていた」のとそうでないのとでは
雲泥の差があります。
ともかく、「議論の慣習」がないと、家族間での共有がなされません。

議論がない領域においては「家族が自分の趣味で勝手にやっていること」どまりになります。

それゆえに慣習も伝播しません。


「家庭内の空気」の正体とは、「いつもどのような会話がなされているか」です。
会話や議論を通してしか、家族間、特に親子間でのスキルや価値観、慣習の共有は達成されないと言っても過言ではないかと思います。
突き詰めてしまうと「議論されていない内容は何一つ共有されていない」とも言えるかもしれません。
「親の背中を見て子供は育つ」は一面の真理であると私は考えますが、
しかしそういった無言のコミュニケーションにもやはり限界はあり、
言語で明確にやり取りをすることもまた重要な教育であると考えます。
非言語的教育と言語的教育とのいずれもバランスよく行われている状態が最も有効ではないでしょうか。


またつけ加えれば「多少の脅迫」も意外と重要です。
「お前、この程度の本は読んでおかないと格好悪いよ。モノ知らないね」
などの物言い、軽い脅迫、煽りも重要です。
ありていに言ってしまえば、知的慣習が豊かな家庭にはこういった空気が
当たり前のように漂っています。
「この程度のことはやっておかないと、なんかダサい」
こういった危機感や、ある種の恥の感覚、最低限のラインを保つ意識が、
一定以上の知性を養う土壌になっているケースが多いです。
ある意味では、これまでに述べた読書習慣化のためのメソッドよりも
重要な内容かもしれません。
「何が美しくて何が醜いか、何がセンスがあって何が野暮ったいのか」
こういったある種の「高い低いを判定するものさし」が強固に、なおかつ明確に共有されている家庭ほど、各人の自発性、モチベーションが高い傾向にあると私は考えています。
それを共有するためにもやはり、
「軽い煽りをもたまに含んだ読書や知識に関する議論」(煽り過ぎは逆効果ですが)
読書を当たり前のものとして子供の意識に根付かせるためには、これが最も重要ではないでしょうか。

 

これまで述べた2つの要素「慣習」「議論」を実行してもなお
子供が読書に向かわないとしたら、それは「そもそも読書に向いていない」のだと思います。
生来から読書の方向には向いていないとして、
他のことに意識を割かせるほうが無難ですし、実りがあると思います。
読字障害などが起因して、本を読むことそれ自体に強いストレスを覚える方もいます。
そういったストレスを抱えてまで読書をやるべきかと問われると、
必ずしもそうではないと私は考えます。
読書はあくまで手段の一つです。
学びを得るための代替手段は他にも存在します。

 

当たり前のことですが、子供ごとに異なる性質をよく見定めた上で
どのような教育手段を施すかが最も重要であると考えます。
何が最適か、は子供ごとに異なりますが、
ただ一つ断言できるのは、


「無理にやらせてみたところで長続きしないし自発性も宿らない」

 

です。
「言われた分だけやってればいいんでしょ。はい、終わり」
これが多くの子供が到達する大方の相場かと思います。

この場合の学習効果は、ゼロではないにしても著しく低いです。
やはり、最も重要かつ有効な状態は、
「慣習化していて、当たり前のものになっている」
状態です。
自発性とは慣習化の裏付けあってのものです。
強制的に、子供の慣習や適性を無視して、多少の無理を伴って課題をこすりつけても
「仕方ないから言われた分だけやる」
で終わります。
読書でも勉強でも、子供に自発性を持ってほしいのなら、
自発的にやれと叱責するよりも前に慣習化に取り掛かったほうがよほど現実的です。
慣習のないところに自発性は存在しません。

 

これまで述べたことを一文にまとめると
「子供にやれと言う前に親がまず慣習として読書を当たり前に行い、
 なおかつそれに関する議論も家庭内の慣習として定着させる」
です。
始めはぎこちなくてもいいと思います。
多少無理矢理な空気があったとしても、話のふり方が雑だとしても、
継続していればその家庭なりの空気になじんだものに変形していくかと思います。
取り掛かる時期は早ければ早いほうがいいでしょう。
「当たり前」を刷り込むには、子供の意識が成熟しないうちの刷り込みのほうが効果的だからです。
個人の意識が出来上がったあとでも、14,5歳までならまだ習慣化は可能かと思います。
(そもそも高校生以降の子供に「読書習慣を持ってほしい」と親が思うケースはあまりないように
 思いますが)

 

本記事が、各家庭の読書のススメの一助になれば幸いです。
(そもそも、現代日本においては民族としての読書習慣が文化として
 当たり前のものになっていません。
 ユダヤ人のごとく「ユダヤ人は本を読むのが当たり前。質問しまくるのが当たり前」
 といった民族的空気が共有されていれば、
 わざわざ家庭ごとに教育する必要も手間もなくて済むのですが。
 ある種、読書習慣の有無は、家庭ごとの問題というよりは、社会単位の問題であると言えます)

 

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