山形県米沢市の高校・大学受験塾「伝説の松本学習塾」のブログ

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「感謝できる≒頭がいい≒大学受験に勝てる」という方程式~頭が悪い人は道徳ができないという話~

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今回は教育に関する記事です。
受験テクニックとは直接の関係はありませんが、
しかし高校受験・大学受験の勝者がほぼ確実に持っている重要な性質に関することですので参考にして頂ければと思います。
「そう言われてみれば思い当たる節があるかも」
と思われる方も多いかと思われます。
 
今回説明するのは「感謝できる精神性がある子は受験に勝ちやすい」という内容です。
あくまで私個人の経験則・個人的解釈に基づく仮説であることをご了承ください。
例外は多々あるかとは思いますが、しかしこの結論でほぼ間違いはないと思っています。
これまでの指導経験上、私が見てきた中では、
「色々な物事に感謝できる感度が高い生徒ほど能力が高く、それゆえに受験にも勝ちやすい」
という仮説が頭に浮かぶことが多かったです。
以下、その内実を詳しく説明していきます。
 
最初に断っておきますが、
「闇雲になんでもかんでもありがたがる子がよい」
という趣旨ではありません。
むしろそういった浅い感謝、「とりあえずこういう態度をしておけばいいんだろ」的な態度が体にしみついている子は能力が低い傾向にあると考えてよいでしょう(あまり見かけたことはありませんが)。
本記事において述べたい「感謝できる精神性」というのは、
 
「現実を正しく認識したうえで、確率が低いものや貴重なもの、価値が高いと感じたものや自分のためになったもの、自分を支えているもの、に幸運(希少性)を感じ謝礼を述べる感性」を指します。
 
もっと圧縮すると
「現実を正確に把握できるがゆえに感謝もできる」
ということです。
 
話は若干横道にそれますが、感謝という思考の原点は
「確率が低いこと」を認識する能力です。
「確率が低いこと(価値が高いもの)が自分に提供された」
と認識する知性があって初めて感謝することが可能になります。
では、「感謝できない」とはどういうことを指すのか。
それは「現実や自分の現状を正確に認識できる知性を持っていない」ということです。
これはそのまま「目の前に提示されている問題の意図や意味を正確に理解できない」ことであり、ひいては「自分自身の現在の力量の脆弱さ」も正しく認識できないことを意味します。
また、確率が低いということを認識できるということは同時に、
「未来において発生する危機に関する感度」も高いということです。
方程式で表現しますと
 
感謝の感性≒確率認識の知性≒危機を予測し準備を実行する知性≒自分の力量を正しく把握できる知性
 
という形になります。
ざっくばらんに表現しますと
 
「感謝できない奴は確率の高い低いも認識できないし、目の前にある危機も見えないよね」
 
ということです。
この場合の「危機」とは何か。
受験勉強に限って言えば、それは「不合格」を指します。
自分の力量の低さも正確に認識できず、それゆえに不合格への危機感も薄く、勉強時間も不十分になります。
さらに言い換えれば「感謝する感度が高い学生は危機(不合格可能性)を知覚する能力も高いがゆえにその不安を解消すべく受験勉強に一層励む」ということです。
勉強しない学生は、危機感が足りないのです。
「ひょっとしたら落ちるかも」
という不安を1%でも薄めたいと思う学生は長期的な勉強を継続できます。
勉強しないほうがよほどストレスが大きいからです。
危機感が足りない学生は「まあなんとなくいけるんじゃないかな」程度に思っているのでしょう。
そう思える背景は「自分の能力や成果の低さ、不十分さを正確に把握できていない」です。
自分を知っている人間ほど、自分の弱さや不十分さに不安を感じ、
それを解消すべく何らかの努力に手を付けるのが一般的な相場かと思われます。
 
「志望校に受かりたいけど勉強しない学生」≒「自分がどれだけおバカさんかすらわかっていないおバカさん」
 
ということになります。
この程度のおバカさんは、意識の持ちようですぐ卒業できますので、早く「自分のおバカレベルも把握していないおバカさん」は卒業したほうがいい人生になるかと思います。
この場合の卒業とは「把握した上で具体的に努力を継続する」ことです。
最初は下手でもいいので、とにかく努力そのものに着手してください。
最悪の状況だけは脱しておくことが大事です。
全てはそこから始まります。
 
確率の低さを認識できる感性が鋭いほどに、同時に抽象的な学問の世界(綿密さ、ち密さ、複雑な論理)を理解できる能力も高いです。
裏を返せば、これは上述した「なんでもかんでも感謝している子は逆に能力が低い」
ことともつながります。
「なんでもかんでも感謝」は「おおざっぱにしか現実を把握・理解できない」ことを意味します。
この「浅いおおざっぱな感謝」か「正確な感謝」かを判断する指標は、
「感謝する理由を事細かに説明できるか、説得力のある論理が含まれているか」です。
現実を認識する能力とはつまり、理由を正確に述べられるかどうかと同義です。
ひとくくりに「感謝しろ」というよりも、
「感謝にも松・竹・梅があって、梅の感謝はレベルが低いから松の感謝をしろ」
という結論になります。
 
抽象的な話が続きましたので具体例を述べます。
ある難関私立大学に合格した塾生のエピソードです。
短く箇条書きに羅列していきます。
彼女が感じていることは以下のようなものでした。
彼女は受験勉強に対するモチベーションが非常に高かったです。
と同時に、理解力や助言・指示を受け入れる素直さも高かったです。
 
・自分の家は裕福というわけでもなく、働いてお金を稼いでくれ、
 自分の教育費にお金を投じてくれている両親の大変さは認識しているので
 自分もそれに応えたいのでなるべく一発で志望校に合格したい
・模試の判定はいい結果が出ているけど、同級生を見渡せばもっとできる生徒は
 たくさんいるし、最後の最後まで完成度を詰めきらないと不安だから
 もっと要領や自分の不足している部分を教えてほしい
・学校の授業や課題と並行して塾からの課題指示をこなすのは大変だけど
 内職するなり学校の宿題はテキトーにこなすなり時間を工夫して作るなりして
 塾の課題は全部こなしたい。
 実力がつく塾の課題だけを合理的に徹底して取り組みたい。
 
この塾生の場合は、感謝のレベルが高いだけでなく、
危機感のレベル、合理性(素直さ)のレベルもかなり高かったです。
だからこそ苦手科目があるにも関わらず、第一志望である難関私大に合格することができました。
やはり、
 
感謝のレベル≒危機感のレベル≒合理性(素直さ)のレベル
 
であり、これがそのまま受験に対するモチベーションの高さにつながります。
モチベーションの高さはさらに「詰め方」のレベルにもつながります。
最後の最後まで自分の力量を上げ続けられること(穴を全て無くすこと)こそ受験において最も重要な能力でもあります。
 
まとめに入ります。
正確に感謝できるほどの精神の細かさを有する学生は、
ほとんどの場合、勉強を継続するモチベーションも高く、理解力も高く、
素直さもあり、結果が出やすいという話でした。
精神性は知性と密に相関します。
残酷な事実ですが、「感謝できる人」と「できない人」との両方が世の中には存在します。
能力が高い人は、感謝する感度も高いです。
現実を正しく見ることができるからです。
自分を構成する要素の大半を客観的に認識できるからです。
その希少性、確率の低さ、価値の高さを理解できるからです。
親が働いた金を自分の食費や学費に投じてくれていることや
その他空気中に酸素があるからこそ当たり前に呼吸できていること
うまい肉を食べる一方で動物の命が失われていることなどを
正しく認識できていれば、自ずと申し訳なさや感謝の気持ちが湧いてくるかと思います。
(例えほんのわずかだとしても。そこまで大げさでなくともいいです)
「そんな気持ちは1ミリも湧いてこない」という方も一定数いらっしゃるかとは思いますが、そういう方はおそらくサイコパスか何かなので私の管轄外です。ごめんなさい。いい人生を送ってください。少なくとも受験はやめておいたほうがいいでしょう。
 
道徳や道義、人の道等の視点からも感謝は大事ですが、
知能指数を図る指標」としても感謝は有用です。
「感謝の感性が大したことないからこいつは頭悪いな」
と思って他人を見てしまって大方間違いないと思います。
うまくいっている人には感謝できる人が多いですが、
うまくいっていない人は感謝できない人が多いと思います。
(全く感謝できない人が金銭的・商売的にうまくいっている事例も多いとは思いますが、そういう方はどこかでこける可能性が高いので、「うまくいっている」とは言い難いかと思います。悪い孤立や下手な独裁の上での成功は遠からず瓦解します。長期的に見ればマイナスです)
 
当塾には能力が高い学生も低い学生も入り乱れていますが、
高い結果を出せる塾生は例外なく感謝の感度が高いです。
一切の例外はありませんでした。
感謝のレベル≒学力のレベルと言っても差し支えないと思います。
繰り返しになりますが「善人の空気を全開にしてありがとうございますを乱打している」ということではありません。
「認識できているか、いないのか」
「行動につながっているか、いないのか」
が重要です。
浅い感謝か正確な感謝かは本人を見れば一発でバレます。
多少反抗期であろうと「親に養われてる身分(言い方は悪いですが)」という最低限の事実は押さえておいたほうがいいです。
10代ですから、反抗期その他諸々の反感を抱いていることは自然な流れです。
反抗はそのまま続けていていいので、7割が反抗だとしたら3割は感謝というか申し訳なさというか養われている身分だという事実を認識しておいてください。
7割は反抗していていいです。残りの3割、現実を正しく認識できてさえいれば。
反抗期10割はあんまり賢くなさそうだし、子供成分100%ぽく見えるので、そういう態度は控えたほうが受験的にも人柄的にも得策でしょう。
 
「自分は感謝の心薄いかも」と思った方は、即物的
 
「上手に感謝できていない自分は頭悪い可能性がかなり高いからもうちょっと現実を正しく認識しよう」
 
と思い直されたほうがいい人生が待っていると思います。
少しずつで大丈夫です。
「自分がどのような要素で構成されているか(経済面、物質面など)」
を一つずつ認識するところから始めましょう。
若者にはピンと来ない面も多々あるとは思いますが、
「自分の実力で得たもの以外は全て他人からのおこぼれ」だと認識するくらいがちょうどいいと思います。
(まあ、「自分の実力や努力」とやらも遺伝や運、環境によるところがかなり大きいので本当は純粋な自分の所有物でもないのですが)
感謝できない人は、頭が悪い人です。
そういう人は、「人の道に外れているから人生がうまくいかない」のではなく
「単に頭が悪いからうまくいかない」のです。
こういったことは小学校の道徳の授業でももっと言及されてもいいかと思います。
感謝できないってことは頭が悪いってことだから皆ちゃんと感謝しようね」
極端な言い方ですが、こういった側面も重要かと思います。
(もちろん道徳授業のベースは「道義的に美しいことと醜いことは何か」
 を教えることだとは思いますので、即物的に語りすぎることには多少の弊害があるか
 とは思います。基本的には「どういう生き方が美しいか」という「美しさ」を価値基
 準として子供に対して語るべきで、「頭がいいの悪いの」という露悪的かつ即物的
 表現をメインに据えるべきではないと私個人も感じています。
 ただ、「ちょっとくらい、たまに」なら含んだほうが効果は高いかなとも
 考えています。スパイスがなければ食材の旨味を感じることもできませんので。
 悪しからず)
 
 
最後になりますが、本記事の要旨を一文で表現すると、
「感謝のレベルが低い奴は確率が低いことの希少性もわからないし
 抽象的な事柄も理解できないし危機感も薄いし素直さもレベル低いし人間関係も
 うまくいかないし謝れないしマナーも悪いしで、自分を責めないで他人ばかり
 責めるしで結果も出せないから信頼も得られないしで受験も勝てなくて
 人生もなんだかうまくいかないよね」
です。
超長文を拝読して頂きありがとうございました。
お疲れ様でした。
 

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