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ここがヘンだよ興譲館その2~学校という構造が抱える受験課題~

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今回は興譲館に対する違和感や疑問点について複数述べてみたいと思います。
かなり長くなってしまいました。ご了承頂ければ幸いです。
各項目は以下の通りです。
・妙に国公立を推す(私立赤本ライブラリなし)
・妙に現役合格主義
・妙に課題の量が多い
・妙に受験は団体戦
・妙にプロ意識が旺盛
・そもそも「学校」という組織が受験の責任を負うこと自体が妙なもの

 

「妙な点その1 国公立推奨の妙な匂い」
聞く話によれば、興譲館は志望校として私立よりも国公立を推してくる傾きが強いとのことです。
詳しくは興譲館の教員の方にでも聞いてみなければわかりませんが、国公立を推す根拠は一体何なのでしょうか。
学生の家庭側が家計の問題で国公立一択であるというのなら話はわかるのですが、
学校側がそれを推してくる根拠がいまいちはっきりしません。
私立大学よりも国公立大学が上とでも言うのでしょうか。
また、国公立を推すのが高校側の主義であるならば、
進学実績に私立大学の合格実績を載せるのは一体どういうことなのでしょうか。
私立大学を志望する学生のフォローを十分にしているわけでもないのに
その学生が受かった場合には自分の組織の実績にしてしまうのは
モラルとしていかがなものかと思います。
進学実績に私立大学合格も掲載するのであれば、せめて国公立の過去問だけでなく
私立大学の過去問もライブラリーに完備してあるくらいの環境は最低限整えておくのが筋というものではないでしょうか。
(これも聞く話によれば、興譲館には私立大学の過去問はほぼストックされていないとのことです)
ちょっと「たけだけしい」ものを感じます。
これは興譲館に限ったことではなく、各地方に存在する複数の名門校に言えることでもありますが。
ともかく、国公立であろうが私立であろうが、学生自身が学びたいことや目的は各人異なるのですから、それに対応した大学や学部は違って当たり前であるはずです。
駄目な国公立もあれば、目的に合致した学びの多い私立もあるのですから、
「国公立か私立か」という単純二択はあまり意味がないのではないでしょうか。
その意味で、興譲館は学生各人の資質を十分に測りきれておらず、
それゆえに学生のその後の人生に最適な提案やフォローをしているとは言い難いのではないでしょうか。
(そもそも高校にとって国公立合格者が多いと何かいいことがあるのでしょうか?
 100歩譲って、予備校や塾の商売をやっているのならまだわかりますが。
 国公立のほうが看板に箔が付く、というようなことでしょうか?
 その根拠がちょっとよくわかりません)

 

「妙な点その2 妙に現役合格主義」
興譲館では、妙に現役にこだわるところがあります。
その典型的な事例が2022年の共通テストの全国的な平均点の低下(難化)を受け、
興譲館に在籍している学生の志望校を1ランク下げることを推奨し、
さらに悪い場合には2ランクは落とさせることを推奨したという事例です。
確かに2022年の共通テストは難化傾向が著しく、
全科目で平均点が低下し波紋を呼びました。
しかし、これはあくまで相対的な低下であり、
いわば「皆点数が下がってるんだから条件は同じで差がついていない」のです。
(まあ、今回の共通テストで極端に点数が取れなかった、というのなら
 志望校を2ランク下げるのもまだ話はわかるのですが)
このような状況を受けて、興譲館では多数の学生の志望校のランクを下げることを推奨しました。
上述した通り、全体の点数が下がっているのであれば共通テストを利用する大学においては、さして他校の生徒と点数において差は生まれていないはずです。
そのような状況でもなお志望校のランクを下げさせるのは、
興譲館が現役合格主義を標榜しているからでしょう。
興譲館側がこのような主義を明確に掲げたことはありませんが、
これまでの事例や状況からは明白にそういった主義主張が感じられます。
率直に言って、現役合格主義はナンセンスです。
現役で受かろうが浪人で受かろうが合格は合格です。
1年や2年の遅れは人生において何でもありません。
仮にこれが3年か4年の浪人を送る状況に陥ったとしても、その程度なら挽回はいくらでも可能です。
愚かしいのは、現役合格にこだわるあまり、十分な実力を養成する時間も確保せずに
妥協した志望校選択を行い、その結果「これは本意ではない」という気分で
大学生活を送り、その後の就職もまた「これは本意ではない」という気分で実施することではないでしょうか。
目先の利益にこだわって人生を妥協するメリットが果たしてどれだけのものであるか、
それについて私は十分な根拠や理屈をまだ発見したことがありません。
あるとすれば「まあなんとなく出遅れた感がなくていいかなー」くらいのものではないでしょうか。
これもまた率直に言ってしまえば、主体的な人生のおくり方とは言い難いでしょう。
なぜならば、判断基準が「自分が納得するか」ではなく「他人と比べてどうなのか」だからです。
自分で選択し判断しているようで、その実限りなく受動的かつ思慮が足りない態度と言えます。
仮にも進学校の生徒であるという自覚があるのならば、
他人に左右されずに主体的に人生を判断する強いメンタリティを持つべきで、
それを達成して初めてエリート(選良)を自称する資格があると言えます。
話を学校側への言及に戻しますと、現役主義はやはりナンセンスです。
現役で合格した実績しか学校の実績にカウントできないから言っているだけで
学生自身の人生を考慮した上での判断ではない気がします。
(そうでなかったらごめんなさいですが、恐らく間違っていないと思います)
仮に興譲館に在籍していた浪人生の合格実績も、高校の実績に掲載しているのであれば、やはりそれも「たけだけしい」ものであると言わざるを得ません。
いずれにしろ、現役合格にこだわるのはナンセンスです。
ナンセンスどころか視点によってはその後の人生においてマイナスであると言えるでしょう。

 

「妙な点その3 妙に課題の量が多い」
結論から述べると、興譲館の課題の質は悪いです。
そして質が悪い上に量が多いです。
私が知らないだけで、良質のものも一部あるかもしれませんが、
少なくとも英語と数学の課題は、疑問符が湧いてくるような質のものが多いです。
(英語のU会、数学のK数など)
この場合、「課題の質」とは何を指すか。
それは解説の質と量です。
興譲館の課題にはこの「解説の質と量」が決定的に不足しています。
これをさらに延長すると「学生が独学でこなす上で負担が重く、その後の実力定着にもつながりづらい」という結論に至ります。
私は何が何でも興譲館のシステムを批判するという立場の者ではありません。
これもまた聞く話によれば、一部の教師の方の指導力は素晴らしいものがあるとのことです。
数学の一部の教師の方と、日本史の一部の教師の方については
学ぶところが大いにあり、受験競争力の向上についても有効であるようです。
ですが、それ以外の領域における課題というのは、
やはり上述したような理由で「質が悪い」と言わざるを得ません。
「質が悪い」のならまだしも「その上さらに量が多い」というのは看過できない問題です。
学生の拘束時間を増やし、伸びしろに費やすべき時間を減少させるのはいかがなものかと思います。
また「解説の質と量が不十分であるテキストをあえて選んでいる」のであれば、
恐らくその理由は「自分の頭で考えるのが大事で、思考力を鍛える訓練として必要だから」ということになるかと思います。
しかし、思考力を鍛えていたはずが、2022年の共通テストの惨憺たる結果を受けて
志望校を2ランク下げさせる事態に陥ったのはなぜでしょうか。
自分の頭を使わせて思考力を鍛えていたはずなのに、想定外のことに対応できなかったのはなぜでしょうか。
答えは明白で「実力や思考力がついていると思ったら実はついていなかった」からです。
そしてその根源は「質の悪い多量の課題」であると私は考えます。
どうせ拘束するなら質のよいコンテンツで縛るべきではないでしょうか。
くどくなりますが「良質」とは「解説の質と量が十分であり学生が独学可能である状態」です。
まあ、恐らく「生徒が独学でも学べる状態」を作ろうとしないのは
「だって独学可能にしちゃったら先生の仕事なくなっちゃうじゃん」
あたりのことだろうなとは思います。
別に教員が忙しくある必要はないと思いますが。
むしろ教員が有能であるほどに教員が生徒に干渉する時間は減るのではないでしょうか。
なおかつ高い成果を生み出せるというのが理想の状態でしょう。
(この辺りの理屈がピンと来ない教員の方は別にそれでも大丈夫です)

 

「妙な点その4 妙に受験は団体戦
これもまた小耳に挟んだのですが、
興譲館は共通テスト本番を目前にして何やら決起集会を実施しているようで、
その中で叫ばれるのが「受験は団体戦」というスローガン?です。
率直に言って、受験は団体戦ではありません。
受験を団体戦と解釈するのはある種の甘え、あるいは依存であると考えます。
団体戦、という考え方は裏を返すと「うまくいけば皆のおかげ、失敗すれば誰かのせい」ということでもあります。
事実は異なります。
「うまくいっても、失敗しても、究極的には学生本人の責任」です。
もちろん、学校や予備校、塾がサポートする部分はありますし、
その意味で結果責任の一端はそういった生徒以外の外部にもあるとは言えます。
私自身「塾生が受かっても落ちてもどうせ俺の責任じゃねえや」などと
思ったことは一度もありません。
だからこそ「多少の余裕を持って合格できるような高い実力をつけさせる」ことに
日々腐心しています。
塾生が得た結果の責任の半分は実際には私にあると考えています。
しかし、やはり結果を引き受けるのは生徒自身以外にいないのです。
全ての事柄を受け止めるのは学生自身の体に他なりません。
学生を触発したい気持ちはわかりますが、
あまりにも事実とかけ離れたアジテーションは聴衆への求心力を低下させるのではないでしょうか。
団体戦?そんなことなくねえか」
そう思っている学生も多数いることでしょう。
安心してください。受験は個人戦です。

 

「妙な点その5 妙にプロ意識が旺盛」
結論から申しますと、高校は受験のプロではなく、したがって興譲館も受験のプロではありません。
しかし、プロではないのに受験に関して学校側が使命感を感じすぎており、
その延長線上で学生の拘束時間を増やすきらいが興譲館にはあります。
気負い過ぎです。
受験というのは、構造的に考えて学校という教育機関が背負いきれるものではありません。
本来、学校側が背負うべき負担ではない、と言えます。
「でも実際に高い進学実績が複数出ているから興譲館の手法は正しいのでは?」
という意見もあるかもしれませんが、難関大に合格している学生は基本的に
何らかの有料教育サービスを利用しているか、身近に学校以外の詳しい誰かが
いるケースがほとんどです。
学校のシステムだけを頼りにしている学生はごく一部で、極めて稀でしょう。
これもまた聞く話によれば「学年の上位50人前後は某T進ハイスクールなどの教育サービスを利用している」とのことです。
繰り返しになりますが、私は興譲館の何もかもを否定する立場の者ではありません。
素晴らしい教育機関としての側面も十分に認識しています。
ただ、「受験においてはそうとは限らない」ということが言いたいのです。
SSRなどの実学的な学びの機会が多いことはいいことだと思います。
興譲館に在籍していればこそ享受できるメリットと言えます。
学習に対する意欲関心を高める効果は大きいでしょう。
ですが、「意欲・関心・考察力を高めること」と「受験競争力を向上させること」は
全くイコールではありません。
端的に言ってしまえば
興譲館教育機関としては優秀ではあるが受験競争力養成機関としては若干微妙」
ということになります。
「関心を高めたり環境を提供することには優れているが、
 学生が抱いた目標に到達するための肝心の受験競争力は大して上がらない」
というのが興譲館の実態であると思います。
そしてこれは、興譲館に限った問題ではありません。
学校というものがそもそも受験を背負う機関ではないのです。

「受験のプロとして採用されたわけでもない教員が、成果を上げれば昇給するわけでもなく、大多数の学生一人一人を管理して一人一人に適した実力向上カリキュラムを組む」

この文言を見ただけでもこれがいかに非現実的かおわかりになるかと思います。
学校側の能力がどうと言うよりも、そもそも物理的に不可能なのです。
学校という構造物は、受験を背負いきれる強度をそもそも有していないのです。
鉄骨の素材も数もそもそも受験用に選定されたものではないからです。
このことは先生方も薄々わかっているとは思います。
受験は学校が背負うものではないのですから、
不要な呪縛や使命感から解放されたほうが生徒も教員も楽になれると思います。
「学校は受験に関するプロである」という若干間違った意識から解放され、
ひいては学生への干渉時間、拘束時間を減らせればそれが理想的だと思います。
よりよいワークライフバランスを目指しましょう。

 

非常に長い文面になりましたが、総括に入ります。
学校は受験のプロではないのに、プロたろうとするからねじれたことが起きるのです。
どこの名門校であろうと、受験の合格実績においては
その学校の教育システムが優れているからではなく、
単に優れた学生が独自の努力(教育サービスの利用や独学)を通じて
優れた結果を出しているに過ぎないのです。
受験は学校の領分ではありません。

そしてこれは、興譲館に限ったことではありません。
麻布であろうが開成であろうが灘であろうが、高校のシステムそれ自体だけで
多数の難関大合格者を輩出しているわけでは決してありません。
最後に、各高校が公開する「進学実績」という評価軸もそもそも妙なものであると思われます。
合格実績は優れた生徒が結果的に置いていったものであって、
学校のシステムがそれを獲得するに至る実力を主体的に授けたわけではありません。
いわば生徒が置いていっただけのものであって「進学実績」ではなく「置き土産」
とでも改称したほうが実態に即しているかもしれません。

 

学生の皆さんは、塾や予備校になんか入らなくてもいいですから、せめて学校だけを頼りに受験勉強を進めることだけは避けてください。

近頃ではインターネット上に、受験に関する有用な情報はいくらでも転がっていますので、そちらを参考にしてください。

学校をあてにして受験戦略を進めると、皆さんの伸びしろが縮まります。

健闘を祈ります。

お疲れ様でした。

 

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